2024年7月27日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

回数ではなく、身についたかどうか

「ワークの問題は3回は解きましょう」

 

この文言は、ある中学で配られた試験範囲表に学習のポイントとして書かれているものです。「ワークを何回も解いて、最低限ワークの問題が出題されたら正解できるようにしておこうね。それすらしない子は点数が取れないよ。」ということなのでしょう。決して3回というところに意味などなく、「ワークの内容を押さえなさい」というメッセージだと思われます。塾では「〇回やりなさい」という指示はしません。中にはちゃんと回数こなしているのかを確認する学習塾もあり、決してそれを否定するつもりはありません。回数をやっているか確認することで、生徒は最低限のことはやったと思えるでしょうし、指導者も勉強の進捗状況を確認することができます。しかし、このやり方には大きな弱点があります。それは、回数をこなすことだけに意識が向いて、内容の理解が疎かになりがちである点です。とりわけ、学力の低い生徒は内容の理解を飛ばして、課題を終えることを優先します。その結果、「先生の言う通り〇回やったのに、全然点数が取れなかった」という不満が噴出します。内容の理解を怠ったので点数が取れなくて当然なのですが、その生徒はきちんと指示通りの回数をこなしたわけなので、一概に生徒の努力不足だとは言えません。このように回数を指示してやらせる場合には、指導者が細かくチェックし、内容の理解にまで踏み込んで学習しているのかに目を光らせなければなりません。「ワークを〇回やりなさい」と指示するのは、一見労力を節約できそうに見えて、実は手間暇のかかるやり方なのです。早くワークを終えることに気持ちが向きすぎていないか、分からないところを放置して進んでいないか、できるところに時間をかけすぎていないかなど、指導者が常にチェックする意識がなければ、ただ回数をこなすという生徒が出てきてしまうのです。

 

大事なのは回数ではなく、できるようにすることです。ワークを1回解いただけでできるようならば、それで構いませんし、逆に3回やっても身についていないならば4回目、5回目…とやるべきだということです。もっと言うと、初めから「3回やる」と決めている時点で、1回目や2回目で完璧にするつもりがないことを意味します。なかなか1回目で完璧に解けるという人はいません。1回目はボロボロ間違いが出てくるでしょう。しかし、そこでやるべきことは「次に解いたときにはミスなくできるように、復習し、理解し、身につける」ということであり、「あと2回解けばできるようになるだろう」と楽観的に考えることではありません。ワークを1回解くのと2回解くのではどれだけ時間を節約できるでしょうか。ワーク1ページを解くのに5分かかり、全部で10ページあるとすれば50分必要です。科目にっては20ページ以上あるのでワーク1回分を解くのに2時間近くかかる計算になります。2時間あれば副教科の勉強に充てることも、入試のためのハイレベル問題にも取り組むこともできます。学校の授業や塾の授業でもそうですが、「あとで理解しよう」とか「また今度覚えよう」とか考えている時点で、上位の生徒とは差が開いていきます。というのも、上位の生徒は、後から覚えるのが面倒だと思っているので、学習したその瞬間、瞬間で覚えていくからです。先生が言うこと、板書したことを頭で反芻してその場で身につけていくのです。それゆえ、成績上位の子はテスト直前に長時間の勉強をせずに高得点が取れるのです。授業で理解するぞ、ワーク1回目で理解するぞという意識が大事なのです。

 

今年の福岡県の入試にも出題された兼好法師の『徒然草』の有名な話に「ある人、弓射ることを習ふに」というものがあります。入試で幾度も出題されている文章です。

 

ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて、的に向かふ。師のいはく、

「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度、ただ、得矢なく、この一矢に定むべしと思へ。」

と言ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠(けだい)の心、みずから知らずといへども、師、これを知る。この戒め、万事にわたるべし。

道を学する人、夕には朝あらむことを思ひ、朝には夕あらむことを思ひて、重ねてねんごろに修せむことを期す。いはむや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らむや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き。

 

簡単にいうと、

「2本の矢を持つと、2本目をあてにして1本目にはいい加減な気持ちが出る。仏教の修行もあとで丁寧に修行しようとすると怠ける気持ちが現れる。ただこの一瞬に実行することは難しいことだな」

ということです。鎌倉時代も現代も何も変わりません。現代に通じる教訓が書かれており、文章自体も平易なため、入試では頻出なわけです。

 

「ワークを3回やる」「あとで復習する」「あとで覚える」というような考えで取り組んでしまうと、自然と雑な勉強になってしまいます。それを生徒本人が気づいて変えていこうとするのが理想ですが、なかなかそんなことはないので、指導者が雑な勉強になりそうな芽をその都度その都度摘んでいかなければならないのです。

(ここでいう指導者とは塾の指導者を意味し、学校の先生のことではありません。学校の先生に勉強のやり方や成績をどうにかしたもらおうと思ってもどうもなりません。学校の先生は生徒の成績を評価するのが仕事であり、特定の個人の成績アップの期待はすべきではありません。ですから勉強のやり方や成績に関しては塾に通っているのならばその塾の指導者に期待し、塾に通っていないならば親がどうにかするのが基本です。決して成績云々の問題を学校の先生に責任転嫁すべきではありません)

 

 

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