昨今の入試傾向の変化の特徴はいくつかあるのですが、その中で「会話形式」で進めいくパターンが大きく増えています。はじめにある事象や実験が示され、これに対して数人が話し合いを進め、考察し、その考察の中に問題を組み込むパターンです。例えば以下のような問題です。
これは今年の理科の大問2です。セキツイ動物の分類というのは、昔からどこの入試問題にも出ている超典型的な問題です。空欄の(ア)と(イ)に関しては、頻出なものなので容易に解けるでしょう。受験生にとって厄介になるのは(ウ)です。これまでの入試では、「体温の保ち方でセキツイ動物を分類したとき、ハトは( )動物に分類される。」という問われ方がほとんどでした。それと比べたとき、今年の入試問題は逆の辿り方をしていることに気づきませんか。これまでの、「体温の分類という分かれ道があったとき、ハトのほうに進んだら“恒温”にたどり着いた」という考え方から、「ハトとトカゲで違う道に進むことになった原因である分岐点を探す」という考え方が求められます。クローズアップしていくのではなく、どんどんひいていく感覚が重要なのです。ひいていく感覚を養うためには、常に「なんでこうなるんだろう?」「どうしてこの文言があるのだろう?」「ほかに求め方はないのかな?」などと、考える癖づけをしなければなりません。なぜなら論理的にたどっていくことは一朝一夕で身につくものではないからです。
この問題は学校現場(教育現場)に、「子どもに考えさせる授業をしていますか?」と問いかけています。会話をよく見て見ると、「先生」は何も知識を与えていません。ただ話題を提供して、答えがある方向に誘導しているだけです。そこそこ知識のある大人であれば、子どもに解き方を見せたり、答えを与えたりすることは難しくありません。しかし、そんなやり方ではダメだといわれているのです。しばしば「子どものために魚を釣ってあげるのではなく、魚の釣り方を教えてあげる」といわれますが、まさにそれは言い得て妙で、勉強にも同様のことが言えるでしょう。授業というものが、単に勉強を教える場となってはいけません。入試で点数を取るためには、ひいてはその先の人生の問題解決のために、指導者のやり方もインタラクティブの(双方向性をもった)授業にしなければならないのでしょう(そうはいっても授業時間数に制限があるのは事実です。この事実とどのように折り合いをつけていくかを考えていかなければなりません)。
では下の問題をご覧ください。
これは2020年から行われる大学入試の共通テストの調査として、昨年11月に行われた共通テストのプレテスト問題です。何が言いたいかお分かりですか。ここにも会話形式の問題があるのです。それも、例えばこの数学I・Aだけ取り上げても、60分の問題の中に、9か所も会話文が書かれています。また大学入試の共通テストの国語第1問は、ある規約を読みそれについて会話文が展開していくものでしたが、福岡県公立高校入試問題の大問1も、オリンピックの大会ビジョンを読んで、それについて会話する場面で始まります。共通テストも高校入試も、形としては全く同じなのです。これを見ると、高校入試問題がここ数年でなぜこんなにも変化しているのかを考えるときに、大学入試形態の変化というものを無視できないことがわかりませんか。大学入試が変化しているので、高校入試も変化していると考えるのがもっとも自然といえるでしょう。先日、教材会社の方もあるセミナーで話していましたが、高校受験が大学受験のプレテスト化してきているのは間違いないことです。今の中学生は、大学に進むときには共通テストを受験することになります。トップレベルの子は形態が変わってもブレずに安定した点をとるでしょうが、中位層にはかなり苦しいでしょう。下位層にはあえて触れません(専門家によると、これまで固まっていた上位層の細分化ができるテストだということです。つまり、上位でも本当の上位は点がとれるが、やや劣る上位はところどころで点を落とすということです)。正しく読み取る力、論理的に話す力、端的にまとめる力、このような力がない子は新しい形態の大学入試には歯が立ちません。そうならないためにも、中学で部活を言い訳にして勉強から逃げていないで、考えることを面倒くさがっていないで、頭をフルに使いなさい。