2024年6月20日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

変わる入試

入試の形態はここ数年、毎年のように変わっています。今年の福岡県の公立入試問題は、単純な一問一答で解答できる問題も一応は残しつつも、与えられた情報や条件をもとにそこから深く掘り下げて考えなければ正解にたどり着けない問題の比率が高くなりました。それらを言い換えるならば「知識のその先を問うている」といえるでしょう。

 

それに伴い、学習塾の役割も大きく変わることとなります。以前までであれば、中3の夏期講習以降、子どもたちに知識を与え続けて、これでもかというほど頭に詰め込ませていれば、ほぼほぼどんな公立高校にも合格できました。現在も、偏差値50~55程度の高校であればそのやり方で合格できるでしょう(ただし合格できるだけで、高校に入ってから勉強に行き詰待ってしまうのはとりあえず無視します)。しかしながら、もし公立上位校(福岡高校、香住丘高校など)への合格を目指すのであれば、旧態依然とした夏以降の詰め込みではどうにもなりません。なぜなら、入試で問われるのは「知識がどれだあるか」ではなく「知識をつかえるか」なのですから。それを象徴する問題を一つ取り上げます(今年の入試に関しては、取り扱いたいところが多々あります)。

次のPDFをご覧ください。今年の福岡県の入試問題大問3です。

2018年 数学大問3

 

(1)の相対度数に関して

ある程度の知識のある子は「相対度数」という言葉や、「相対度数」の求め方は当然のように知っています。しかし、相対度数をなぜ用いるのか、何のメリットがあるのかは知りません。教育現場でも「相対度数というのは、全体に対する割合のことだよ」という説明はするものの、具体的なケースにまで踏み込むことはありません。私は、今年の入試問題は子どもたちに勉強を教えるすべての人間に、「勉強のための勉強になっていませんか?勉強は問題解決のためにするものではないのですか?」というメッセージを送っているように感じます。では身近な問題で考えてみましょう。

<問題>

あるスーパーでは、5個入りで400円のみかんと、8個入りで600円のみかんが売られてます。Aさんは、「8個入りは600円もするなんて高いわねぇ。それに対して5個入りは400円で安いじゃないの。じゃあ400円の5個入りを買いましょう。」と言っています。Bさんは、「5個入りで400円は高いわね。こっちの8個入りで600円はさっきの5個入りのに比べて安いわ。であれば8個入りの600円のほうを買いましょう。」と言っています。AさんとBさんが異なる個数のみかんを購入しているのは、この2人が比べているものが違うからです。2人はそれぞれ何を基準に判断しているでしょうか。

お気づきでしょうが、この買い物の問題と今年の入試問題の根本的な考えは同じです。「見た目の数の大きさを鵜呑みにする」のは小学生ならまだしも、中学生ではあってはいけません。それは、硬貨の価値を知らない幼児が、お小遣いをもらうときに、500円玉1枚と1円玉100枚のうち、「いっぱいあるから」という理由で1円玉100枚を選んでしまうようなものです。幼児はまんまと母親の術中にはまってしまっていますが、これから高校受験を目指す中学生諸君はだまされることなく、常に「比較する目」「分析する目」「判断する目」「思考する目」を持ち合わせておくべきです。なぜならこれからの入試には、数学という学問を日常生活に生かしていく、あるいは日常生活の問題を数学を用いて解決していくという視点が欠かせないのですから。


実は、2年前の群馬県の問題でも、まったく同じ意図の出題がされています。

2016年群馬県大問2(1)②

「2つの資料について、分布のようすや特徴を比較する場合、相対度数を用いるとよいのは2つの資料にどのような違いがあるときか、書きなさい。」

このようにある都道府県の入試で出た問題が、別の都道府県で出ることはよくあります。これから入試の形態が変わり、面白い視点から問う問題が増えていきますので、そういう問題はこぞって参考にされるでしょう。だからこそ、指導者は常に福岡県だけではなく、他の都道府県の入試問題にも目を通して、多角的な見方をアップデートしていかなければなりません(それは経験の浅い新人に限らず、そこそこ実力の付いた中堅然り、自分の経験に依存しがちなベテラン然りです)。


(2)の理由説明について

この問題自体は何も難しくありません。B中学校の中央値よりA中学校の中央値が大きいことを、根拠となるもの(ここでは中央値が含まれる「階級」)を示して答えればよいのです。模試や入試演習でも何度も見たことがある問題なのでしょうが、いかんせんこの程度の文がつくれません。おそらく「説明せよ。」と書かれているから、難しい問題だと思っているのでしょう。勉強を進めていくと、記述解答に何を書いてもバツにされる時期というのがあります。「記述スランプ」です。知識が十分でないうちは、間違った用語の使い方をしたり、似た言葉をてれこで使ったりするので、なかなか満点は取れません。時間をかけて解答欄を埋めても、バツにされるもんだから、そのうち書くことが怖くなったり、嫌になったりします。これが「記述恐怖症」です。こうなってしまった子どもは厄介です。「どうせバツにされるから」とか「完璧な解答じゃないと嫌だ」という子どもの論理を盾に、無回答という籠城に閉じこもります。でもそのままではいけません。無回答というのは逃げであり、逃げは志望校に背を向ける行為なのですから。結局、「記述恐怖症」から抜け出すためには、記述できるだけの知識を身につけ、経験を積むしかないのです。

 

大問3を見たときに、「今の入試問題って、簡単じゃない?」と思われる方もいると思われます。見方によっては、土台となる知識がなくても、問題の中の文章を正しく読み取っていけば解くことができるからです。大人には経験に裏打ちされた思考力や分析力があります。しかし、子どもに大人と同レベルの思考力や分析力を要求するのは酷ではないでしょうか。それに中学生の思考・分析・判断ほど不安定なものはありません。時と場合によって、簡単に考えや行動を変えてしまうのですから。であれば、子どもたちは決して変動しないもの、確固たるものを身につけておかなければなりません。それが、国語の文法や、数学の公式や、英語の単語・文法や、理社の語句などの「知識」です。「知識」を持っているということは問題と対峙する上での土台となります。「知識」を持っているということは自信につながります。「知識」を持っているということはどんな問題に対しても向き合える安定性を生みだします。世間では「思考力」「分析力」「判断力」と声高に叫ばれますが、ちょっと待ってください。大切な「知識」を忘れていませんか?入試が変わっても、「知識」が必要であるということは変わらないのですよ。

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