2024年10月15日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

客観的な評価とは

この世に、誰しもが納得できる客観的評価を下すことのできる人間はいません。子どもは評価されることを嫌いますが、大人になれば会社からの評価は避けては通れません。そして会社から自分の満足のいく評価が得られることなどまずありません。「もっと評価してもらってもいいんじゃないの?」とか「あいつがあの評価なら、自分はこれだけの評価があってもいいだろう」などと不満足な結果に終わることがほとんどです。その中でもより納得のいく評価が得たいのならば、学生時代にしっかり勉強して、目に見える形での評価(簡単に言うと給料)がもらえるところに就職するのがよいでしょう。

 

そう考えると、高校受験ほど客観的な評価を受けることができる場はないのかもしれません。その子が性格がいいとか、コミュニケーション力が高いとか、そういったことは一切排除して、通知表の評定点数と入試の点数のみでほぼほぼ合否が決まります。つまりは、その人間を点数化して、基準点をクリアした子だけが入学を許されるということです。

 

すぐにあきらめて「できません」「わかりません」と言う子がいます。いや、もしかすると何時間もかけて挑戦したけれども、どうしてもできなかったのかもしれません。ひょっとしたらその子は、私が「時間をかけて挑戦したのにできなかったんだね。それじゃあしょうがないね。大丈夫だよ。」などと甘い言葉を発してくれることを期待しているかもしれませんが、あいにく私はそれほど優しくありません。いやそもそも子どもの不勉強を許すことが優しさなのでしょうか。また私はそれほど子どもの能力を下に見ていませんし、明らかにできないことを求めていません。できるはずのこと(その学年や年齢であればできなければならないこと)しか要求していません。解答欄を空欄にするともちろんそこは0点です。そして、非常なことですが、入試において0点ということはその子の評価が0点ということになるのです。頑張って問題を解こうとしたけれどどうしても解答欄を埋めることができなかった場合も、そもそも諦めて解答欄を埋める気すらなかった場合も、結果的には0点、つまり同じ評価、不合格になるのです。いくら「時間をかけて考えました」と言っても、解答欄の空白に与えられる評価は0点です。空白は点数の放棄以外の何物でもありません。

 

解答欄に空白をつくることによる問題点はいろいろあるのですが、今回はそのうちの2つを紹介します。

①傍線部の周辺の内容をまとめるだけでも、もしかすると部分点がもらえるかもしれないのに、「自分の答えに自信がない」という理由で全ての点数を失ってしまうのは受験戦略上許されません。受験では1点や2点で合否が分かれてしまいまうので、部分点を取りに行くという泥臭さは大切です。そもそも大人が解いたところで、記述問題で満点をとれる人はほとんどいません(嘘だと思うのなら、お父さんやお母さんに解いてもらったらいいでしょう)。ましてや知識も技術もない子どもに初めから満点解答は求めていませんので、思う存分間違えてください。

②記述を書く習慣をつけていないと、記述恐怖症に陥ります。書き始めては消し、また書いては消しを繰り返す子は、完全に記述恐怖症です。根底には「間違うのが恥ずかしい」という気持ちがあるのでしょうが、間違うよりも何も書かないほうが恥ずかしいことです。何か書いたうえで間違える分には手の施しようがありますが、何も書いていない解答にできることはありません。対人恐怖症を克服しようと思ったら専門家のアドバイスを受けるように、記述恐怖症になってしまったら専門家である指導者に早々と預けるべきでしょう。

 

生徒はわかっているでしょうが、青凜館は他塾と違って、「ただ指定された席に座って授業を受けていればいい」、という塾ではありません。生徒自身が手を動かし、生徒自身の頭で考え、生徒自身の口で説明することを求めます。数学や英語の授業は私が解説する時間よりも問題演習に時間を割いています。そして子どもたちには私のサポートを受けながら、自分の力で自らの評価をもぎ取りに行ってほしいと思います。

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