2024年7月27日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

「わかる」ことを確かめる

近年は個別指導塾の乱立の時代と言っても過言ではありません。志免の68号線沿いは、勝手に「個別ロード」と名付けており、いくつもの個別指導塾が並んでいます。また宇美駅周辺にも個別指導塾が集まっています。それを見るたびに「この個別指導塾とあの個別指導塾では何がどう違うのかな」と思い、「保護者の方はなぜあえて隣の個別指導塾ではなくこっちの個別指導塾を選ぶのかな」と疑問を抱きます。個別指導塾は教室責任者が直接指導することはほとんどなく、たいていはアルバイトの大学生が指導をします。良い先生も卒業やテストの関係ですぐに指導から離れますし、そもそも生徒の成績を長期的な視野で伸ばしてやろうと考えている優秀なアルバイト講師などそうそういません。選んだ個別指導塾が良いか悪いかはサイコロを振るように不確定的なのです。それでも個別指導塾を選ぶというのには「自分に合わせてほしい」「優しく指導してほしい」など、それなりの訳があるのでしょう。そんな個別指導塾ではしばしばこんな会話がなされます。

 

先生「これはこうやってやるんだよ。わかった?」

生徒「わかった」

 

この会話には大きな問題があるのですが、お分かりですか。それは、先生が「わかった?」と問いかけをしている点です。特に学力の低い子は「わかった?」と聞かれると反射的に「わかった」と答えてしまいます。自分が分かっていないことが恥ずかしいのか、分かっていないことに慣れすぎてやけになっているのか分かりませんが、その問いかけでは本当にわかっているのかを確かめることはできません。もしかしたら「わかりません」と言ってしまえば、先生の説明をまた聞かないといけないから面倒くさいなぁ、という気持ちもあるのかもしれません。「夜ごはん何がいい?」と聞かれて、何を食べたいかを考えるのが面倒くさいので「何でもいい」と答えるのも同じです。そんなことにはお構いなく、生徒から「わかった」という期待通りの言葉を受け取った先生は、なにくわぬ顔で先へと進みます。前段階の知識が抜けている状態で先に進んだところで、壊滅的な状態に陥るのは目に見えています。中2から、あるいは中3から塾に通い始めた子が、前学年までの取りこぼしがあまりに多いせいで、塾に通ってもほとんど成果が上がらないということはよくあることです。青凜館の生徒も前学年の知識ががっぽり抜けていましたので、最初にそこの補修作業に取り掛かりました。それで最近になってようやく前学年を卒業し、進級できそうなところです(残念ながらまだできていません。考えてみれば当然で、本来であれば1年間じっくり時間をかけて教えるべきことを1ヶ月そこらで身につけるのは容易ではありません。容易ではないとしても、受験で成果を上げたいならば、サボった分はどこかで取り返さないといけないのです)。

 

そのため指導者は生徒がきちんとわかっているか、わかっていないかに敏感でなければなりません。わかっていないのに先に進めたり、逆にわかっているのに必要以上に説明したりではいけません。青凜館では、生徒が分かっているかを確かめるために小テストを行い、授業の中で発問して答えさせ、宿題のやり方や間違い方をチェックしています。特に授業における発問に対する返答の反応スピードや答え方を聞けば、生徒の理解は手に取るようにわかります。ある程度学力のある子が返答の前に微妙な間が空けた場合、それは知識の定着が不十分か整理できていないということを意味します。逆に返答の前の間が全くなく間違える子というのは、とりあえず思いついたことを言っているだけで、全く考えようとしていません。これは学力の低い子がやってしまうのですが、そういう子に対してはたっぷり時間をかけてでも自分の頭で整理させて、「これで間違いない」という結論に達した段階で解答させます。以前もブログで述べましたが、一度でも間違ったことを口に出してしまうと、その間違いが自分の記憶に残って、ずっと同じ間違い方をしてしまうのです。

 

「わからない」が増えていくことほど窮屈なことはありません。中1のときは「わからない」を放置していても、まだ中1だからと楽観視してしまいますが、ではその「わからない」をいつ挽回するつもりですか。中1の学習内容というのは家をささえる土台のようなもので、表面に現れるものではありません。そのため中1で理解が不足していても、定期考査の成績に顕著には現れません。しかし中2、中3に進んだときに、その土台が不安定であれば、知識を高く積み上げることはできないのです。中2以降、定期考査の点数の開きが大きくなるのはこのためです。もし、高く積み上げたいのであれば、一度解体をして、土台作りから始めなければなりませんが、たいていの場合、解体も土台作りも面倒くさいので、勉強を諦めることになります。結局そんな子が、精を出す場は部活であり、ゲームであり、YouTubeであり、LINEでのやりとりなのです。でもそんな子どもたちも心の底では「勉強ができるようになりたい」と思い、勉強ができない自分に嫌気がさしているのです。問題はそんな子どもたちに対して、大人がどのような働きかけをするかなのではないでしょうか。子どもが勉強できない責任は子どもだけではなく、周りの大人にもあるのですから。

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