2024年2月27日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

言葉で伝えるということ

ご存知の通り、当塾の小テストには満点合格するまで何度も取り組んでもらっています。溜めることなく計画的にこなしている子が一方、溜めに溜めてここまで来た子もいます(きっと、余裕があるときにやっておくべきだったと思っているでしょう)。どうやら中3生は溜まりまくった再テストがあると分かっていながらも、合格する気が無いようです。できないことが目の前に積みあがっているのにもかかわらずそれを解決しようとしないのであれば高校受験の結果は目に見えているようなものです。受験生であるにもかかわらず自らの意思で小テストを処理しない場合、授業後に居残りor授業がない日に来ていただきます。「小テストは合格するまで受けていただきます」というのは最初にお伝えしているはずですので。

      

再テストを解き終わったら、私へ手渡ししてもらうのですが、そのとき中3生の半数近くが何も言わずにただ手渡してきました。そして、採点したものを生徒に返すときにも何も言わずに受け取るのです。こんなときに私は黙っていません。相手に何かを手渡し、相手から受け取るときには一言添えるのが普通だからです。そんな普通のことができない原因は大きく二つです。一つ目はちょっとしたコミュニケーションを恥ずかしがっていることです。「こんにちは」と挨拶するのが恥ずかしいから頷くだけであったり、自分からは恥ずかしくて挨拶できないので相手から挨拶されるのを待ったりする子も多いです。もう一つは、そもそも何かを渡したり受け取ったりするときに一言添えるということ自体を意識したことがない(あるいは知らない)ということです。おそらくこのようなことは誰かから教えられることではないでしょう。経験の中で無意識的に身についていくことなのでしょう。ですから私は叱るわけではなく、落ち着いたトーンで話をします。こういうことを当たり前にできる人になりなさい、と。

       

おそらく家では黙示でのやりとりをしているのでしょうし、それは「内」のことなので構いません。しかし、「外」では違います。「内」と「外」は使い分けなければなりませんし、「外」の世界に「内」のやり方を持ち込むべきではありません。きっと保護者の方の家での声と電話での声が違うでしょうが、それは「内」と「外」を明確に区別しているからです。いわば大人はそれが当たり前なのです。しかし子どもは「内」を「外」にまで持ち込みがちです。ですから「何も言わなくても分かってくれるだろう」「こういう態度でも許してくれるだろう」「周りが全部やってくれるだろう」と甘えた態度を「外」で見せるようになるのです。ここ最近は「自分の考えや要求は声に出して伝える」ことについてうるさく言っています。たとえば、こちらから質問されたときに分からなければ、子どもは「黙る」という手法をとります。あるいは首をかしげて終わりというパターンもあります。そうではなく「分かりません」と言葉で伝えなさいということです。おとといには、再テストの用紙が切れていたときに、生徒が「テスト用紙がありません」と言ってきたのですが、そうではなく「テスト用紙がないので、印刷お願いします」と伝えるようにするべきだとも話しました。事実だけを伝えるのではなく、それについて自分が何をしてほしいのかを伝えることが大人のコミュニケーションです(実はこのような言葉で伝えられるかどうかということは、作文や論述解答に関わっているのです。「この言葉だけで自分の考えは伝わるだろう」と相手の空気を読む力に委ねるのか、「ここまで書けばだれがどう見たって自分の考えは伝わる」というところまで述べるかでは、後者の方が得点になるのは当然です)。

       

以前も書いたと思いますが、私は当塾を「しつけ教室」「マナー講座」にするつもりはありません。にもかかわらず私が勉強以外のことについて彼らに注意を与え、ときには叱るのかというと、それは私が彼らに関わる大人だからです。子どもから大人になる大切な段階に関わっている一人の大人として、ダメなことをダメというのは当然だと思っています(生徒に話を聞くと、どうやら当塾は「厳しい塾」「うるさい塾」だと言われているようです。また一方では「成績が上がる塾」だとも言われているようです。どう思い、何を優先するのかはあなた次第です!)。

     

      

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