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今週から小学生クラスの国語では小説を扱い始めました。春期講習からずっと説明文を読んできましたが、いよいよ小説に突入です。初めての小説読解ですので、まずは「小説とは何なのか」「どういう構造なのか」「何を読み取らなければならないのか」という説明をしました。当塾で最も国語を事細かく説明しているのは、中学生クラスではなく小学生クラスです。論理性や論理的な考え方が備わっていない小学生ですので、間違った読み方・解き方が身についてしまわないように詳しく話しています。
小説では登場人物の感情が大切です。正確にいうと感情の変化というべきでしょうか。感情の変化は勝手には起こりません。生徒に「怒ってみて!」「悲しんで!」「喜んで!」と言っても、そんな感情の変化は生まれません。もし怒って表情を見せても、それは怒ったふりであり、決して心情が変化したわけではありません。つまり、何もないところでは感情の変化は起らず、変化を起こすためには何らかのきっかけ、できごとが必要なのです。親から怒られたからムカつく、褒められたからうれしい、財布を落として悲しいなど、きっかけとなるできごとが起こることによって感情が生まれる、または変化するのです。そして何らかの感情が生まれた場合、その感情を自分の心だけにとどめることはありません。普通は表面上の変化をもたらします。たとえば、嬉しかったら笑うでしょうし、もっと嬉しければガッツポーズをするでしょう。恥ずかしければ顔が赤くなるし、手で顔を隠す子もいます。怒っていれば物を投げつけたり、相手を無視したりします。このように、感情が生まれると、次の行動(表面上の変化)が生まれるのです。さらに、この行動により再び感情の変化がおきたり、他の登場人物の感情が生まれたりしますし、この感情によって次に行動に移ります。すなわち、小説というのは、「感情」を中心とし、その前後にあるできごとや行動を読み取っていくものであり、これはまさに「因果関係」を思考するということなのです。なぜこのような感情が芽生えたのか、なぜこのような行動をとったのか、このできごとが原因でどんな感情が生まれたのか、このような感情が原因でどのような行動をとったのか…。小説は主観性を徹底的に排除し、高いレベルの客観性が求められるものです。ただしそこには落とし穴があります。説明文では因果関係が明確に書かれます。論理的に相手を納得させる文章を書くのですから、原因・結果を示さなければ読み手は納得してくれません。ところが、小説では因果関係が明確化されません。日常生活で「私は今嬉しいです」「今怒っているよ」「超悲しいよー」などと、はっきり自分の気持ちを示すことはあまりありませんよね。それは小説の中でも同様で、登場人物の気持ちをはっきりと「嬉しい」「つらい」「恥ずかしい」などと書いてしまうと、ものすごく幼稚なものになってしまいます。中心にある「感情」の部分が明文化されず、すっぽり抜け落ちているのです。感情を明確に示さない代わりに、できごとや行動を示し、それらを総合的に判断して感情を決定していくのが不可欠となります。たとえば「涙を流す」という行動からは嬉しいのか、悲しいのか、それ以外なのか判断できませんので、それ以外のできごとや発言から「これしかない」という感情を決定していきます。国語の読解が苦手という子の最大の原因は、主観的な読み方をしていることにあります。いつの間にか登場人物と読み手である私が同一化しているのです。小説の読解は正しく取り組めば客観性を磨くうってつけの材料になります。
小学生だけでなく、中学生も、国語の読解というのは子ども自身のやり方に一任されている状態です。誰からも読み方や解き方を教わっていません。逆にいうと、教わっていないのですからできないのも当然でしょう。「こう読めばいいんだよ」というのがあるのですから、学校の先生も塾の指導者も遠慮せずにどんどん指導していいのではないでしょうか。なぜ国語の読解だけは教えないのでしょうか。