昨日、ある動物園でホワイトタイガーに襲われて、不幸にも飼育員の方が命を失うという痛ましい出来事がおこりました。もちろん原因を究明して、二度と同じようなことが起きないように対処することが求められます。しかし、私がこのニュースを知ってまずはじめに頭に思い浮かんだのは、先日英語の授業の中で取り扱った文章でした。その文章は、今年の佐賀県の公立高校入試問題で、動物園で動物を飼うことに賛成か否かについての対話文でした。先生と生徒が動物園で動物を飼うことのいい点と悪い点について話しをしていきます。その文章によると、動物園で動物を飼ういい点として、野生で絶滅しつつある動物を保護できる点や、食べ物に困ることがない点、動物園を訪れた子どもたちが、動物に興味を持つ点などが挙げられています。一方、反対意見としては、動物たちが狭い場所で生活し、人々に見られてかわいそうだというものや、目の前で話をしたり、写真をとられたりでストレスを抱えているというものがあります。最終的には「異なる考えに耳を貸すことは、面白いし大切だよね」というありきたりなまとめに終わるのですが、それぞれの意見は確かに面白いものがありました。
そして、昨日の動物園での痛ましい事故のニュースを見たとき、真っ先にこの文章を思い出したのです。きっと、英語の授業でこの文章を扱っていなければ、「飼育員の人がかわいそうだな」「きっと安全管理が不十分だったんだろうな」と感じて終わりでしょう。しかしながら、動物園をテーマにした文章にふれたことで、普通よりもより深く、この出来事について考えていたのです。浅い感想を越えて、動物園のあり方、飼育のあり方、動物のストレスというものにまで、思考が及んだのは、外でもなく動物園での動物飼育に関連する文章を読んだからです。勉強をすると、知らなかったことを知ることができる、知識が増える、処理スピードが速くなるなど、さまざまあります。そして、勉強をすることで、一つのものを別の視野で見たり、より深層的な部分まで見えたり、常識を疑うことを知ったりします。これらは新しいものを創造するときには欠かせない力です。英語の長文を読んだり、現代文を読んだり、古典に触れたりすることに必要性を感じていない中高生がいるのは事実です。特に英語は、「海外に行くつもりがないのに、勉強する意味が分からない」などと言って簡単に放棄されてしまいます。でも、英語の文章を読むことで、その知識が自分の身になることは大いにあります。勉強に取り組まないことで損をすることも多くあります。必要最低限のことだけしか持ち合わせていない人ほど魅力を感じない人はいません。ですから、嫌いだから、苦手だからという理由で簡単に勉強を諦めてほしくないと思うのです。動物園のニュースからそんなことを感じた昨日の夜でした。