2024年3月4日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

「学歴社会」を生きる

中学生、高校生にとって、一日24時間の中心にあるべきものは勉強です。もちろん、「私は一生将棋のプロとして生きていく」「プロ野球選手で1億円プレイヤーになる」という大きな可能性を持っているのであれば、生活の中心は将棋や野球となるかもしれません。しかし、他を圧倒するだけの才能や能力を持ち合わせていない一般的な中高生にとっては、勉強を避けて通るということは大きなマイナスとなるのです。中高生は現時点では何かを生み出すだけの力も、資金も、知識もありません。もし今、親などの身内の支配下から脱すれば、子どもの生活など簡単に行き詰るでしょう。子どもは親に反抗したり、親の言うことに聞く耳を持たなかったりしますが、子どもなど親がいなければ何もできないか弱い存在です。か弱いからこそ、強くなるために知識を身につけ、技術を身につけ、それによりお金を得ることが必要なのです。若くして才能を開花貸せた野球の大谷翔平選手でも、学生時代には勉強を疎かにしなかったと言われますし、サッカーの川島永嗣選手も、勉強には手を抜かなかったということは有名です。特に川島選手に関しては「部活と勉強」に関する記事がありますので、是非こちらを読んでみてください。親という最強のシールドに守られている10代の間に、思う存分力を蓄えておくべきです。力といっても、大人になって古文を読むことや、合同証明することや、イオン式を書くことは専門的な職につかない限りまずありません。勉強を通して身につけるべき力は、「できないことがあったときに、そこで諦めるのではなく、工夫して何度も挑戦し、最後までやりきってできるようにする力」とでもいうべきでしょう。社会に出るとうまくいかないことばかりが待ち受けています。そんな苦しい中でも諦めずに、成果を挙げることのできる人間が重宝されます。とりわけ、今の子どもたちが社会に出るときには、機械的にしか働けない、考えられないような人は淘汰されます。考えることができない、工夫することができない、粘り強く努力できないということは、未来への対応力を失うことになります。社会に出るまでものごとを簡単にあきらめてきたような人間が、社会に出たからといって生まれ変わったような生き方をするのは考えられません。諦めること、逃げることが癖になっていれば、大人になってもちょっとした壁にぶつかるだけで諦め、立場が悪くなればすぐに逃げ出すでしょう。

 

では「簡単にあきらめる人間」と「粘り強い人間」を、社会はどのように判断しているのでしょうか。その判断材料の一つが「学歴」です。例えば、九州大学に合格しようと思えば、それだけの努力をしなければなりません。土日には一日中勉強するのは当たり前です。レベルの高い問題集に挑戦して、打ちのめされるのも覚悟するべきです。でもそこで諦めずにできるようになるまで問題にぶつかるからこそ、九州大学に合格できるのです。大学受験に才能が関係ないとは言えません。中学高校に入る前にどれだけの本を読み、どれだけの会話を交わし、どれだけ自分の言葉で説明できるようになっているかも重要です。しかし、それらも努力して勉強することで実を結びます。決して才能だけで合格しているわけではないのです。

 

「学歴は、10代にいかに努力したかの証である」

 

「学歴なんて…」という人にはこの言葉を言います。学歴以外に、10代のときに努力したことを客観的に証明できるものはあるでしょうか。もちろん、部活で結果を出しても努力の証明になるでしょう。しかし社会では、部活で全国大会に行くことよりも、学歴のあるほうが評価されます。それは部活という楽しいもの、好きなものではなく、勉強というつらいもの、面倒なもので結果を出しているからです。成績を上げるためには、嫌なことから目を背けず、根気強く努力することが不可欠だからこそ、学歴を重視する「学歴社会」がなくなることはないのです。特に就活のときには「学歴社会」であることをもろに痛感します。自分の学歴に対して卑屈になることもあるでしょう。「学歴社会」であることを恨むかもしれません。しかし、その学歴は自分の歩んできた道のりそのものです。困難な道のりを進んできた人と平坦な道のりを進んできた人が同じ評価を受けるほうが不公平に思えます。「誰にも負けないコミュニケーション力がある」「誰にも負けない体力がある」「誰にも負けない話のうまさがある」「誰にも負けない容姿がある」ということであればまだマシです。自分には何もない、取り柄がない、いたって普通だと思う子ほど、学歴を軽視してはいけません。

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