今日で私立高校入試まで5ヶ月です。公立高校受験に特化していますが、生徒は私立高校も受験するわけですので、その辺の準備を疎かにするわけにはいきません。演習で取り扱う問題は全国の公立高校入試問題をベースとしていますが、ときには私立高校入試問題を扱っています。夏期講習でも、筑女や九州高校の問題を解いてもらいました。やるべきこと、押さえるべきことを確実にやっていれば、私立入試と言っても恐れることはありません。「こんなの普通の中学生じゃ無理だよ」と思うような問題も一部ありますが、大部分は中学校で学習した知識をアウトプットするだけです。問題を解いた生徒は、〇〇高校って簡単だなと思ったことでしょう。
私の仕事は、生徒が受験したい高校、コースに挑戦できる状態まで引き上げることです。塾に通っても頑張ろうとしない生徒はどうしようもありませんが、頑張っている生徒は何としても合格させなければなりません。努力が高い確率で報われるのが高校受験です。これから子どもたちが生きていく中で、注いだ努力の分だけの結果が返ってくることなど稀です。であれば努力が報われるような場面では、確実に結果を求めるべきです。私は、「合否以上に、受験までの過程に意味がある」とは思いません。塾で働く人間にとっては、合格だけが全てであり、不合格は指導の失敗なのです。
さて、私にうるさく言われているせいか、中3生は少しずつ勉強を頭を使ってやろうとしているようです。頭を使い始めると、成長のスピードが大きく変わります。私の説明だけを聞いて分かった気になっているようでは、いざ一人で取り組まなくなったときにすぐに思考停止します。私が説明するのと同時に、脳内再生し、解答の手順を自分でつくろうとしなければ、ただ単に板書を写すという作業に終始することとなります。板書を写す作業は頭を使いません。板書を写すだけで成績が上がるのであれば、すでに学校の授業だけで成績が上がっているはずでしょう。学校では板書を写して、その写したノートを提出するわけですから、それなりにきれいにノートを仕上げています。それでも成績が上がらなかったわけですので、ノートをきれいにとることに絶対的な価値はないと私は思います。大事なのは、ノートを取ることではなくて、内容を自分でそしゃくしながらノートに再生することなのです。そしてここにきて、中3生のやる気が上昇してきているのはいい傾向です。これまでできていなかったことが、できるようになっているのは、本人が「やらなければ!」と思っている証拠です。私がいちいち言っていることを真剣に受け止め始めたのかもしれませんが、最大の要因は夏期講習で受けた模試の結果が散々だったからでしょう。初めて入試形式の模試を受けた生徒は、これまでの自分を否定され、打ち負かされたことでしょう。自分のこれまでの不勉強、問題を解くスピードの遅さ、日本語を理解する能力の欠如など、「ダメ・ダメ・ダメ」のオンパレードで情けなく思ったことでしょう。でも、腐らずに(中には腐りそうになっている生徒もいるでしょうが)、そんな情けない自分を変えるためには、勉強するしかないんだと気づき始めたのでしょう。その結果、少しずつですができることが増えてきています(できることが増えれば、できなくなることも出てくるのはいただけませんが…)。
私にとって、子どもの成長のようすを間近で見られるのがある種の喜びです。昨日までできなかったことを、今日できていると、心の中でニヤついています。「おっ、やるじゃん」という気持ちがあふれ出します。その反面伸び悩む生徒を見ると、もどかしい気持ちになるのも事実です。以前も書きましたが、塾講師の喜怒哀楽は子どもたちによって引き起こされます。これから中3生が塾を去っていくまでの180日余り、何度も怒り、何度もあきれ、何度もやきもきするでしょう。しかし、それ以上にできることが増えていく子どもたちに頼もしさ、たくましさを見出すことになるはずです。そうさせなければ義務教育を安心して終えることなどできません。一人で生きていくだけの経済力がない子どもたちが今できることは、強い知力を身につけることなのです。勉強をして、知識を身につけることは、人間としての強さにつながるのです。
これから入試対策に入り、できない自分に嫌気がさすこともあるでしょうが、目標を見失うことなく進んでいきましょう。