授業の中では、単元がある程度進んだり、単元の切り替わりのタイミングで実際の過去問に取り組みます。今週も中2の数学では2018年の静岡県の連立方程式の文章題を、中3の授業では2017年の秋田県の2次方程式の利用に取り組む予定です(中1は今の段階では解くことができる入試問題が少ないので、もう少し先に進んだときから過去問にチャレンジしてもらいます)。毎年の全国公立高校入試問題をすべて解き、その中から「今までとは異なる切り取り方をした問題」「授業で得た知識を生かせる問題」「一見簡単そうだけど、引っかかりやすい問題」などを、その時々の必要に応じて解かせます。問題演習だったら「テキストに載っている応用問題でいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、それは違います。
テキストではなく、プリントで過去問を解くことでいつもと違う緊張感を生みだします。テキストの問題演習ではどうしても「流れ」「パターン」というものがあり、たいして実力のない子であっても、その誘導にうまく乗っかれば正解にたどり着くことができます。しかしいきなり過去問を渡されると、頼ることができるのは、自分がこれまで培ってきた知識と技術だけです。そこにはテキストにあるような誘導はありません。「これは食塩水の問題だから、食塩の量で方程式をつくろうね」とか、「展開して、因数分解して、方程式を解いたら条件チェックするんだよ」などという私の優しい?しつこい?声かけはありません。自力で問題を読み、やるべきことを理解し、方針を立て、式を立て、計算し、確かめて、答えを出さなければなりません。問題を解くためにあたえる時間はたった数分ですが、その数分は本番の入試のように集中して問題と向き合うこととなります。青凜館は普段の授業でも割と緊張感がある塾ですが、さらに緊張・集中状態を作り出すために問題を解く前にある一言声をかけます。それは、「これは△△年の〇〇県の過去問です」という一言です。この問題がただの演習問題ではなく、「過去問」であるということを示すことで、近い将来、このレベルの問題を解けなければならないのだということを自覚してもらうのです。「過去問である」ということを伝えると、生徒の表情は少し引き締まります。そして早く解きたくてウズウズし始めます。おそらく心の中で「よし、やってやろうじゃないか」と思っていることでしょう。私が問題に関係のないことについてつらつら話し始めようものなら、生徒は「そんな話はいいから、早く解きたいんですけど」と言いたい気持ちを抑えつつ、過去問プリントをちらちらのぞき見を始めます。そして私の「〇分で解くよ。じゃあ、初め。」という言葉を言い終わる前に、フライングで解きはじめるのです。大人が疲労感を感じるときに栄養ドリンクを飲むと少し元気になるように、定期的に過去問演習を解くことで、問題を解くことに対する意欲を高めることができるのです。ただし、栄養ドリンクと同じで、その効果は長続きしません。この時期に過去問演習ばかりをやると、疲弊して終わりです。あくまでも過去問演習はたまに入れるから意味があるのです。
しかし、学習内容を一通り終えた中3生は9月以降、過去問を中心に学習することとなります。そのための素材を探すために、2018年の入試問題を毎日少しずつ解き進めています。一言で言うと、授業で取り扱いたい問題がたくさんあります。受験用のまとめ教材など、探せばいくらでもあるのですが、やはり各都道府県がそれなりの時間と労力をかけて作り上げた入試問題には、市販の問題集とは比較できないほどのクオリティーがあります。ちなみに理科と社会に関しては、受験生は47都道府県分すべての入試問題を解いてもらいます。「そんなに解くの?」と思われるかもしれませんが、不思議なもので解いていくたびに問題を解く力がついていく自分に気づき始め、もっと解きたいと思うようになります。でも中には見たこともない問題、どう手をつけていいか分からない問題、自分の知識では太刀打ちできない問題があります。その問題こそ自分を大きく高めてくれるバネになります。すでにできる問題を解けるのは当たり前で、そこを鍛えることはあまり意味がありません。できない問題をできるようにするから、合格に近づいていくのです。昨日のブログでも書きましたが、すべての問題を完璧にできる人間はいないのですから、いかにできない問題と向き合うかが重要です。できない問題があったら逃げ出すのか、できない問題でも意地で乗り越えようとするのかでは、最終的に身につく実力には雲泥の差が生まれるでしょう。しかしできない問題とは言っても、すべて実際の高校入試問題です。全国の入試問題の中には、福岡県の入試問題とは比較にならないほど難しい問題もあります。でも他の都道府県の中学生が解くことができる問題なのに、同じ中学生が解けないのは悔しくないですか。受験生はこれから抱くであろう、解けない悔しさ、情けなさ、不甲斐なさ、自分へのイライラ、ろくに学力を積み上げてこなかった後悔、本当にできるようになるのかという不安、合格するのかという不安など、諸所の感情を全て勉強にぶつけて、自分自身の力で道を開拓していってほしいと思います。大人はやるべきことを示すことはできますが、子どもたちの代わりに道をならしてあげることはできません。子ども自身が額に汗して、もがいてもがいて進んでいくしかないのです。