中間考査まで1週間を切りました。子どもたちは塾で過ごす時間の大半を勉強に費やしています。60分のうち休憩は5分なので、のこりの55分は自分のできない部分と向き合っているわけです。それでもまだまだやることはかなりあります。英語の本文も、国語の本文も、理科のワークも、社会のワークも完ぺきとは程遠く、数学の計算ミスも多いです。5教科のめどがついても、副教科が5教科分あります。ここまで1週間の彼らが決して手を抜いていたわけではありません。なかには家で勉強できる時間があるのに、面倒くさいからとやるべきことから逃げ出した子もいましたが、それでも平均的な中学生に比べると多くの量をこなしています。しかし、やらなければならないことを挙げだすときりがありません。一方、それを全てやれるだけの時間が残されているかというと、時間がないというのが現実です。塾では50分勉強、5分まとめ、5分休憩というリズムで勉強していますが、50分の勉強でできることは意外に多くありません。塾生は毎度毎度計画を立てるのですが、はじめに立てた計画ほど進まなかったというのがほとんどです。勉強に対して本気になり始めた青凜館生は、「やるべきことはたくさんある」のに、「時間がない」というジレンマに直面しています。平昌オリンピックで金メダルを獲得した小平選手もこう言っています。
「与えられるものは有限。求めるものは無限。」
よく、「時間があればできるのに…」「部活があったので…」などと言い訳をする人がいるのですが、人生において十分なほどの時間が与えられることなどありません。「時間がない」という状況が普通です。そんな中で、自分のやりたいことや与えられる仕事をこなさなければならないのです。これまでの子どもたちは、ここまでやるべきことがたくさんあると思ったことはないかもしれません。時間はいっぱい残されているようで、実はそんなにないかもしれないと焦ったことがないかもしれません。しかしながら、今回の中間考査学習会において、程度の差はありますが、「やるべきことは多いけど、時間が足りない」と子どもたちが思っているのは事実です。そこに気づき始めたということは、少しは勉強に本気になり始めたということでしょう。
そこで、勉強を効率よくすすめるために「具体性」が要求されます。学習会において、子どもたちに「この勉強をしなさい」「これをしなさい」と指示することはありません。子どもたちは自分のできるもの、できないものが分かっているので、あえて指示する必要がないからです。しかしながら、ときには「なぜそれをやっているの?」「なんでこっちの科目をやらないの?」という場面に出くわします。そこで「なぜこの時間はそれを勉強するの?」「この勉強よりその勉強を優先するのはなぜ?」と聞くと、案の定、明確な回答は得られません。何となく、さっきは理科をしたから、次は社会をして、次に英語をして、最後に国語をするとしか考えていません。そんな漠然とした計画の立て方ではダメです。理科をするにしても、社会をするにしても、明確な「意味」を持たなければなりません。それを、別の言い方では「具体性」といいます。例えば、「理科のワークをする」という計画の立て方ではなく、「理科のワークの、〇ページから〇ページの間違いが多いので、そこを完璧にする」という目標であれば、その時間の中でやることははっきりしますし、その後の反省がしやすくなります。学習会の最後には、「今日の達成」というものを書かせるのですが、ある子は、「塾のワークを解いてみたけど、何か所も間違っていたので、まだきちんと頭に入ってないということがわかった。」と記述しており、またある子は、「社会のワークが終わった」と記していました。どちらが勉強ができるかお分かりですか?そしてどちらが成績が上がる可能性が高いか分かりますか?限られた時間の中で必要なことを発見できるのか、ただ時間だけを消化するのか。意識の差は大人が想像している以上に大きく、それがはっきりと結果の差として現れるのです。
明日、明後日の土日は朝の10時から夜の10時まで塾を開けます。ある生徒に、何時に来るか聞いたところ、昼過ぎに来ますと言っていました。午前中は、ダラダラする気に満ち満ちていますね。一方、2日間とも朝から夜まで勉強しますという子もいます。何時に来るか、何時までやるかは強制しませんが、ここぞという場面で踏ん張れなければ、いつまでもちょっとした苦しさから逃げることになるでしょう。一度でもしんどい壁をのぼってしまえば、それは自信にも実力にもなるでしょう、そしてこれから出くわす、ちょっとした障壁ぐらいなれば簡単に乗り越えられるでしょう。もちろん私も朝から晩まで生徒と同じ空間で勉強します。やるべきことには事欠きませんので。残りの1週間では、自分の弱さを打ち破っていきましょう。