2024年7月27日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

受験というファインダーを通して社会を見る

青凜館は学習塾である以上、子どもたちが目の前にある問題を解けるように教育する責任を負っています。方程式の立式ができないのであれば、いくらでも具体例を示してできるまで付き合います。文章の構造が見えていないならば、納得がいくまで論理的説明をします。結果的に、学校の定期考査で高得点が取れる、入試本番で合格点が取れるというのが最大の目的なのですが、そうはいっても、子どもたちには勉強だけしかできない人にはなってほしくありません。紙面上の勉強ができたとしても、今のニュースを知らない、礼儀を知らないなどという子どもでいてはいけません。

 

昨今の受験問題は、子どもたちに社会を考える機会を与えてくれています。例えば、国語の文章では人間と科学技術の関係について取り上げられることが多々あります。ちょうど今週の中2の国語の授業で取り扱う問題にこのような内容があります。

「人間の科学技術は、だまって放っておけば、自然のバランスそのものを破壊する可能性を秘めている。自然そのものに内在するバランスによって、これまでは人間性のあり方そのものが規定されてきた。自然のあり方に対する科学技術の位置づけが変わることで、この人間性と科学技術の関係は、改めて問いなおされなくてはならない。」

確かに科学技術は人間の生活を豊かにしてきました。夏場にクーラーをつければ快適に過ごすことができますし、核エネルギーを使うことにより、電気を思う存分使うことができます。科学技術というと機械的なイメージを持つかもしれませんが、医療の分野をも含みます。本文中には「臓器移植」や「遺伝子操作」が取り上げられており、それにより人間は生きながらえることができています。しかし、筆者は科学技術を多用することを、自然を抑制し、人間の運命を人間が操作する行為だと警告しています。最近も、子宮を移植したサルが妊娠に成功した、というニュースがありました。では日本で人間に応用するのかというところに関しては、それも人間と科学技術のはざまにある難しい問題だといえるでしょう。文章の中で筆者は、人間と科学技術の関係が「限定的立場」であることが重要だと述べています。「限定的立場」とは科学技術を開発することは続けながらも、無制限の利用はせずに、利用するのであれば倫理基準が必要だという立場です。科学技術がもたらす恩恵も大事、自然を壊さないことも大事なのですから、最終的には中庸的、つまり間をとった解決策に落ち着くのでしょう。受験問題を通して、社会に散在する問題を考えるというのが青凜館の指導の根底にあり、勉強を通して社会を見る目を養ってほしいと思っています。簡単なところでいうと、ニュース番組の中には、中学校の勉強が生かせる場面は多々あります。例えばハワイのキラウエア火山の噴火のニュースを見たときに、中1のときにきちんと勉強した子は、「知識」と「現実」をイコールで結びつけることができます。「学習した通り、爆発的な噴火ではなくてドロドロとマグマが流れているなぁ」「学習した通り、溶岩が黒っぽいなぁ」などと考えることができるのです。

 

昨日の情熱大陸に齊藤慶輔さんという、北海道で主に野生のワシを専門に扱う獣医師さんが登場しました。ロシアから渡ってきたワシたちは、電線で感電死したり、車にひかれたり、あるいは銃猟されたエゾシカの死体を鉛弾と共に食べて鉛中毒を起こしたりして、命を落としているという現状があるそうです。そのなかで齊藤さんはこのようなことを述べています。

「この仕事を愛護で、かわいそうだから助けているのではなくて、彼ら(ワシ)と人間が生活しているこの自然界に、はからずとも人間が大きなあつれきを生みだしてしまっているという現状があるので、それを取り除くのも人間の責任であると思っている。」

私は昨日の情熱大陸を見たとき、真っ先に中2で取り扱う予定の文章を思い出しました。

「人間と科学技術の関係」

多くの知識を得ると、物事を違う角度から眺めることができますし、今まで気づかなかったことも見えてきます。多くの知識があれば、最善の策を、短時間で決定して、実行に移すことができます。多くに知識があれば、微視的ではなく俯瞰的な態度が身に付きます。青凜館の生徒たちには現状の知識量に満足することなく、授業や受験勉強を通してどこまでも多くのものを吸収してほしいと思います。受験勉強に真剣に取り組むということは、社会を客観的に、冷静に見るためのファインダーになりえるのです。

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