青凜館では中3のみ理科・社会の授業を行います。その理由は「理科と社会の扱い」をお読みください。中3の理科は「運動とエネルギー」の単元から指導しています。この単元が最も単純で理解しやすいからです。この単元は身のまわりにある現象の理由を考えていくのですが、いかんせん紙面上の情報だけでは理解がうまくいきません。勉強と日常のリンクがうまくできると、経験則から判断もできるにもかかわらず、勉強となると日常性からはかけ離れてしまいます。力や運動のようすを実際に体感してもらうために、プリントで基本を勉強した後には、簡単な実験(というほど大したものではありませんが)を行います。
この写真は再来週の理科で行う実験の練習風景です。「仕事の原理」を知っている方ならお分かりでしょう。なんとも簡単な装置ですが、力の大きさ、動かす距離を調べるには十分すぎるものです。日々、こんな道具を「あーでもない、こーでもない」と言いながら作っており、いかにも「つくってあそぼ」のわくわくさんになった気分です。ちなみに先週は物体を2力で引っ張るときに、同じ方向から引っ張るときと、角度をもって引っ張るときで、どれほど力の大きさに違いがあるのかを体感してもらいました。角度があるほうが力を入れないと持ち上げられないということを体で感じ、そこに理論が加わることでより、より確実な知識になると考えています。今週は斜面の角度の大きさと加速度、慣性について実験する予定です。
理科という科目は「目に見えない」現象にある、理論・理屈というものを理解する科目です。そのような難解な作業において助けとなるものは「可視化」です。回路図、イオン、力、天体など、可能な限り可視化し、理論とセットで学ぶことが理科の成績アップの近道です(単元によって、ある「現象」の「理論」を理解して「可視化」するというパターンと、ある「現象」を「可視化」して「理論」をとらえていくというパターンの2通りがあります)。このような実験は学校でもやるでしょう。当然学校の装置のほうがちゃんとしていて、数値も正確に出るでしょう。でも塾で一度でもこのような体験をしておけば、学校での実験を他のことは違う視点で見ることができます。
千利休の言葉に「稽古とは、一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一」という言葉があります。稽古とは一から進んで十まで進み、その次には初めの一に戻って二、三と進んでいくという意味です。塾の授業と学校の授業の関係はまさにこの言葉と同じではないでしょうか。塾では学習内容を一通り漏れなく指導します。そしてそのあと、学校でも同様に一通りの指導が行われます。さて、千利休の言葉にはもう少し深い意味があります。それは初めに一から進むときと、二回目に一から進むときでは、表面上は同じ「一から進む」ですが、理解度という点では全く異なるということです。一回目以上に学習内容がすっと体の中に入ってくるはずです。一回目には気づかなかったことも、二回目には気づくかもしれません。二回目のほうが余裕が生まれるのは当然でしょう。ですから問題演習においても、「基本問題」を解いたら「練習問題」に進み、それをクリアしたら「発展問題」に挑戦することが重要です。ごくわずかな演習量で成績を上げられるのは、ごくわずかな人間だけだけだと思ってください。そういう意味では、塾に通っているにもかかわらず成績が上がらない原因は「一回目の指導を行う塾の指導が雑」、あるいは「二回目の指導を行う学校の指導が雑」のいずれか(もしくはその両方)です。というように自分にプレッシャーをあたえつつ、今日も塾としての役割を全うしていきます。