2024年3月4日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

教材のはなし

授業で使うテキスト選びにはこだわっていると思っています。各教科、複数ある選択肢の中から「これは!」というものを使用しています。国語と理科のテキストはすぐに決まったのですが、数学、社会、英語のテキストはなかなか決断できませんでした。数学は私が求める「質」と「量」を満たすものがなかなかないということ(個人塾の先生方が、数学のテキストは自作したいと仰る気持ちがよくわかります)。社会はどのテキストにおいても、単元のまとめ部分に物足りなさがあること。そして英語は「このテキストで子どもの成績を伸ばそう」という意欲を感じられないものが多いことが理由です。

 

英語の「このテキストで子どもの成績を伸ばそう」という意欲を感じられないとはいったいどういうことでしょうか。英語のテキストを下手な人が作ると、非生産的なものにしかなりません。まず単元の導入部のボリュームが大きく、ページのほとんどを占めるので、そのあおりを受けて問題数が少ないものがあります(そもそもテキストの導入部などほとんど使っていないのではないでしょうか)。こういうテキストは、「1ページに1単元」という型をきっちり守っているので、授業の計画を立てたりレイアウトが整って見えたりという面ではよいのかもしれませんが、単元によって問題数にばらつきが出ることになります。問題数にばらつきがあるのが問題ではなく、解説が多く複雑な単元の問題数が少なく、理解しやすい単純な単元の問題数が多くなることのバランスの悪さが問題なのです。ですので、私はテキストのレイアウト(1単元1ページ)のようなものには全くこだわっていません。レイアウトにこだわるあまり、必要な演習問題を削ることなど論外なのです。

 

練習問題の質も各社様々です。現在完了の最初には普通、have+過去分詞を書かせるのですが、そこにもテキスト作成者の「これならどうだ!」と言わんばかりの個性が見えてきます。教材Aは過去分詞だけを空欄にし、教材Bはhave+過去分詞の2か所を空欄にし、教材Cに至っては、その過程をすっ飛ばしていきなり一文をつくるという作業を行います。どのテキストにも一長一短ありますので、最終的には生徒の実力と指導者の力量によって決定します。青凜館では単純に空欄を埋めるという思考のかけらもない作業を避けるためにも、基本問題においても子どもたちが戸惑いやすいポイントがあったり、ミスを誘発しやすいポイントがあったりするテキストを使用しています。いうなれば教材Bと教材Cの中間といったところでしょうか。また問題の質もベーシックな教材よりもやや難易度の高いものを選択しました(英語を得意にすると、大学受験やその先の人生において有益だからです)。

 

毎日同じ人といるとその人の嫌なところが見えてくるように、毎日テキストと向かい合っていると、テキストのダメなところが見えてきます。受動態の単元は良い問題ぞろいなのに、関係代名詞は取るに足りない問題ばかりだということがあります。それは他の科目でも同様で、戦後の民主化のところは丁寧に仕上げているのに、開戦~終戦までは少し雑じゃないの?などということもあります。例えるならば背中がかゆいときに使う孫の手の長さが微妙に足りず、かゆいところにピンポイントで届かないというようなことがあるというようなことです。少ないページ数でまとめなければならないという編集の苦労も感じつつ、そこに同情してばかりではいられませんので、足りないところは板書やプリントで補っていかなければなりません。完璧なものなどありませんので、自ら働きかけて完璧に近づけていかなければならないのです。しかし、テキスト選びや授業の進度なども含めて、生徒の成績向上に直結することを、素早く調整し判断していけるのも個人塾だからなのだとしみじみ思います。今回はテキストのつまらない話でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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