2024年6月20日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

本質は見えない

青凜館は今のところ毎日ブログを更新しています。やめようと思ったことはありますがやめるきっかけがないので細々と更新し続けている次第です。塾に来て、掃除をした後、最初に行う作業が「ブログ更新」なのですが、内容のストックがあるわけではないので、書きあげるのにかなりの時間を要します。1時間で書きあげられれば良いほうで、ほとんどは書いては消しを繰り返しながら、2,3時間はパソコンとにらめっこして更新しています。

 

私が時間を使ってでもブログを書く理由は、自分の子どもが通う(もしくはこれから通わせる)塾がいったいどんな塾かをできる限り知ってほしいからです。青凜館を開校するにあたり、近隣の学習塾のホームページを見て回ったのですが、正直その塾の「指導の方針」「指導の中身」「指導者の考え」「こだわり」のようなものが全く見えません。見えないというよりも「見せようとしていない」というのが正直なところでしょうか。同様の話は以前のブログ「塾と病院」にも記載しています。広くお客を集めようと思えば、特徴やこだわりや極端さをなくし、とっつきやすいものにしなければなりません。古代ギリシアの哲学者のアリストテレスは徳論の中心概念として「中庸」というものを重視しました。極端なものではなく、その中間を知ることこそが高い次元に達するために必要だという考えです。これは現代社会でも同様で、企業が売り上げを伸ばし、発展しようと思えば、極端さというものを抑えて、広く好まれるものを提供しなければなりません。大手外食チェーンや衣料品メーカーなどはシンプルで飽きの来ない商品を中心にしているのもそのためでしょう。そして学習塾業界も例にもれず、極端さを排除した結果、塾選びをしようと思う人が見える部分というのは、本質に遠く及ばない「表皮」の部分のみになってしまっているのです。それはアリストテレスの言う「中庸」などではなく、「凡庸」と呼ぶべきでしょう。しかし、大手塾はそれでいいのです。凡庸を装う方があまねく生徒を獲得できるのですから。できるだけ塾の本音や指導の雑さを知られず、不平不満などの芽を摘んで、子どもたちがなんとなく勉強した気になって通い続けてくれるのが最高な形です。タイトルの「本質は見えない」というのはこういう意味です(個人的に学習塾の最も嫌な部分は「授業料」が見えないことです。「授業料の詳細は各校舎にお問い合わせください」という文言が大嫌いです。自分の指導に自信があるのなら、授業料など隠す必要はないのではないかと思うのですが、そうはいかないのでしょうね)。

 

では青凜館の考えをすべてオープンにできているかといえば決してそうではありません。指導のやり方のうち細かなテクニックの部分(よく言う企業秘密というやつです)や言葉では表しにくい感覚的な部分は対外的に書くことができません。しかしながらそれら以外のこと(授業のこと、塾選びのこと、入試問題のこと、教育論など)は良いことも悪いことも書くようにしています。このブログを読んで「青凜館っていう塾には行きたくない」と思う方もいるでしょう。「塾では勉強だけに取り組む」「中途半端は許容しない」と明言していますので、そういうことに対して反発を抱くのは仕方がありません。ですがこういうことを明言しているからこそ「ここで勉強したい」「子どもを預けてみたい」と思っていただいているという側面もあると思っています。事実、ブログは多くの方に読まれているようです。駄文ではありますが、何らかの参考になれば幸いです。

 

塾を選ぶということは容易なことではありません。美容院であれば、一度髪を切ってもらって自分に合わなければ二度と利用しないということができますし、コンビニであれば大して対人関係を築く必要がないため、とりあえず通うということがあり得ます。しかし塾はそうはいきません。入塾して合わないからすぐにやめるというのは子どもの学力向上のためにならないですし、かといって成績が上がらないのに惰性で通い続けるのは大金を捨てるようなことになりかねないのです。そもそも自分の住んでいる地域に「成績が上がる塾」「子どもの理解を促進する塾」がないかもしれません(塾という看板を出しておきながら、たいして指導力や知識のないところなど数多あります)。親御さんの中には「塾なんてどこも一緒でしょ」と思われる方がいらっしゃいますが、間違いなく「塾選び」と「子どもの成績」には大きな相関関係があります。新学期が始まるこのタイミングに「勉強」「成績」「受験」というものを再考するのもいいのではないでしょうか。

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