2024年10月9日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

何となくの繰り返し

勉強の導入部ではパターン学習的な指導をします。英語で主語が3人称単数のときには、とりあえず動詞にsをつけていれば正解になりますし、現在完了の単元では、文の意味を理解していなくてもhave+過去分詞を書けばどうにかなります。数学でも「これは問題に合う」「仮定より」などの文言を意味も分からずにただ書いています。その他の科目でも「何となく」正解を導いていることは少なくありません。パターン学習は基本の型を覚えることにおいては有効ですが、そこから先に進もうとしたときに足かせとなることは少なくありません。これまで「何となく」パターン通りに解答していた子が、入試問題という脱パターン化したものと対峙したとき初めて、正確な理解の重要性に気づくのも、「何となく」が生み出す悪影響なのです。「何となく」問題を解いていると、「何となく」いい点が取れることがあります。そうするとその子は「何となく」俺って天才かもなんて思います。逆に「何となく」悪い点だったとしても、「何となく」問題が難しかったからしょうがないなどど考えます。「何となく」気が向いたら、「何となく」キリがいいところまで勉強して、「何となく」疲れたらテレビ見て、「何となく」気分が乗っているときは勉強頑張って、そして頑張ったときだけは勉強したことを誇った顔でアピールしてきます。「何となく」これはテストに出ないと高をくくり、「何となく」これは将来使わないと放棄し、「何となく」学校の先生の授業がつまらないと不満を言い、「何となく」成績のいい子を卑下する。「何となく」ほど使い物にならないものはありません。「何となく」の態度がの行きつく先は、「平凡」「そこそこ」「中途半端」「どっちつかず」「帯に短し襷に長し」「次郎にも太郎にも足りぬ」という魅力のかけらもないところです。

 

では「何となく」から脱却するためにはどうすべきでしょうか。答えは簡単です。根拠を持てばいいのです。根拠を持つといってもどうすればいいのかと思うでしょうから、今日は「何となく」から脱却するための一つのヒントを示します。

以下の問題は先日新中2生が解いた問題です。

「兄と弟が合わせて2500円持っています。兄は弟よりも300円多く持っています。弟の所持金はいくらでしょうか。」

弟の所持金を求めるので、まず弟の所持金をx円とするのは良いとして、問題は兄の所持金をどのように表すかということです(連立方程式はまだ勉強していませんので、一次方程式で求めることになります)。数学が苦手でなければすぐに(x+300)円と置けますが、数学が苦手な子は、(x+300)円か(x-300)円で迷います。そして何となく(x-300)円の方を選択してしまうのです。日本語の観点からすると、主語と述語の関係から「兄が300円多く持っている」と分かり、(x+300)円となるのですが、勉強ができない子にそんなことを言っても理解が進むどころか、更に苦手意識が植えつけられるでしょう。そこで迷ったときには「具体的に考える」ということを実践してみましょう。訳が分からない、よく理解できないという場面に出会ったら、身近なもの、具体的な数字に置き換えて考えるのです。もし弟の所持金を500円だとしたら、数学が苦手な子であっても兄の所持金は500+300=800円だとすぐ言えます(文字を数字として扱うという感覚を中1のときに身につけていないと、本当に苦労します。もう一度言いますが、文字を数字扱いできない人は、数学での得点は期待できません)。具体的なもの、この場合弟の所持金を500円とするという問題は小学校の時にたくさん触れています。具体的に考えていくというのが小学校の勉強の基本だからです。ですので数学が苦手な子であっても500+300という小学生の計算ぐらいはできるのです。しかし、中学校での勉強のメインは抽象的に考えていくことであり、その最たる例が文字式というものです。文字は物質的で機械的なものですから、近づきにくい、理解しにくいと感じるかもしれません。その距離を縮めるための有効な手段が「具体化」という作業だといえるでしょう。もちろん最終的には具体化することなく、(x+300)円と置けるようになるべきですが、初歩においては「何となく」を脱却して、確実性を持たせる手段として効果的だといえるでしょう。

 

授業の中では「なぜ」「どうして」という問いを多く投げかけます。まれに「何となく」という理由で正解する場合があります。入試においてすべての問題の正否に確信を持てることは少なく、そういうものにおいては「何となく」であっても正解できる実力は重要です。「何となく」は天から降って湧いてきたものではなく、何かを見て「何となく」正解だと思ったのですから。であれば、何を見てそう思ったのかを追求しなければなりません。そうしなければ今度は「何となく」で間違ってしまうでしょう。ここまで読んでいただければお分かりでしょうが、青凜館は「何となく」という言葉が通用する塾ではありません。「どうして?」「根拠は?」「この考え方はどう思う?」というように「深く」「正しく」「論理的に」指導をする塾です。そのような作業が鬱陶しいと思う子どもたちにとっては不快以外の何物でもありません。そのような方は「優しく」「表面をそっとなでるように」指導してくれる塾に行かれたほうがストレスフリーな日々を送れるでしょう(特にこの地域は学力層が高くありませんので、そんな子どもに迎合してくれる塾はいくらでもあるのですから)。

 

さて、これからも「何となく」勉強と向き合いますか?

それとも「真剣に」勉強と向き合いますか?

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