2024年7月27日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

公立入試前日に思うこと

いよいよ公立高校入試が明日になりました。

     

受験前日の中学3年生は、初めて会ったときの彼らとは全く別人です。はじめはできない自分に気がつきながらも、それに気づかないふりをして何となくやり過ごしてばかりでした。お世辞にも「これまできちんと勉強してきた」とは言えませんでした。そこから、時にはダレてしまう時期もありましたが、この半年は本当に勉強に向き合っているのが伝わりました(だからこそ、なかなか偏差値が上がらないことに、私自身の焦る気持ちが強かった年でもあります)。はじめに比べれば、知識量も、問題へ向かうときの熱量も勢いも全く違います。「受験生」らしくなりました。

      

常日頃、「塾に通う以上、勉強するのは当たり前」と言っていますが、それは現代の子どもたちにとってはそれほど易しいものではないのかもしれません。とりわけ、これだけ物質的に豊かな時代に生きる中学生にとっては、「勉強をする」ことの価値は見出しにくくなっているのかもしれません(子どもにゲームをもたせたら、勉強時間を削ってゲームにのめり込むことは明白です)。無機質で、手間がかかって、耐性が求められるものよりも、華やかで、手っ取り早く、自分の気分で取り組めるものの方が魅力的に感じるからです。書店の参考書コーナーに行くと、「10日で完成!!」などの問題集がそこそこ売れているのもうなずけます。そんな時代に生きる彼らだからこそ、「一生懸命に勉強する」ということには価値があるのだと思います。

    

楽な道を選ばずに、無骨に勉強し続けました。私が受験の神様であれば、合格させてあげたいです。しかしながら、そういうわけにはいきません。あとは彼らが255分間の入試で、これまでやってきたことをぶつけるだけです。点数を取るための練習は、十分すぎるほど積んできました。いつもより背伸びする必要はありません。いつもと同じ気持ちで取り組むのは難しいでしょうが、高まる気持ちをおさえて冷静にいきましょう。いつもの方法で、何よりも基本に忠実に。

     

これは入試前日には毎年書いていることですが、受験直前の受験生を見ると、「15歳で高校受験という人生の分岐点をむかえること」の意味を考えさせられます。これまでは、義務教育という決められたレールに乗っていました。ほどんどの子どもたちは、どの小学校に行くのかも、どの中学校に行くのかも、その学区に住んでいるということだけでほぼ自動的に決まっていました。極端な言い方をすれば、自分の人生を選ぶ余地がなかったのです。しかしながら、義務教育の終わりと同時に、自分の新しい人生が始まります。自分だけの人生のスタートです。高校受験は、自分の道を歩きはじめる「自立」への第一歩なのです。

入試にはたった一人で挑みます。当然、良いことも悪いことも頭をよぎるでしょう。さまざまな感情に耐え、自分の力で次のステージへと進みます。長い人生において、高校受験は単なる通過点にすぎません。しかし、高校受験は自分の人生を大きく左右する分岐点であることには違いありません。

子どもたちは将来に思い悩み、自分の可能性を知り、ずっと抱き続けた希望を諦め、大人の期待を一身に背負ってきました。高校受験と真正面から向き合った子どもたちは、人間的に大きな成長を遂げます。知的に、精神的にたくましくなります。現実から逃れたいと思うことは多々あったでしょうが、逃げずに最後まで頑張った受験生には尊敬の念を抱きます。

     

明日は堂々と戦ってきなさい。自信なさげにふるまわないこと。「余裕だぜ」という雰囲気をかもしだすこと。周りの受験生なんかに惑わされないこと。私にダメ出しされないように問題文を読み、解答を作り上げること。あとは、合格したいという強い思いを胸に、頑張ってきなさい。

     

保護者の皆様へ。

こんな知名度も、誇れる実績もない塾に大切なお子様をお預けいただきありがとうございました。保護者の皆様のご理解、ご協力のおかげで公立高校受験前日をむかえることができました。明日はなかなか落ち着かない一日となるでしょう。大人は子どもの力を信じて待つことしかできません。前向きに送り出し、帰ってきたら一人でここまで戦い抜いたことに対し、ねぎらいの言葉をかけてあげてください。

ほんのひとときですが、子どもたちの人生に関わることができて良かったと思います。

    

     

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