2024年5月19日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

成績を上げる責任

これまで数多くの転塾生を受け入れてきて思うこと。それは「前の塾は成績を上げる気があるのかな」ということです。まあそもそも成績が上がっているのであれば転塾を考える必要などありません。成績が上がらないから転塾先を探すわけです。ではなぜ成績が上がらないのでしょうか。答えは簡単。塾側に「本気で成績を上げる気」がないからです。

 

例えば、からあげ屋さんを経営するとします。うちの店のからあげは6分揚げると、カラッとジューシーに出来上がります。だからタイマーできっちり6分計って作ります。しかし、段々と6分も油の前にいるのは面倒くさいし、早くお客さんに提供したほうが回転が良くなると思い始めます。10秒ぐらい短くてもいいやと揚げ時間を5分50秒に変更します。10秒短くしたところでお客さんからのクレームはありません。じゃあ今度はさらに20秒短くして5分30秒で取り出します。これでもクレームはありません。次は思い切って30秒短くして、5分にします。クレームはありません。5分のからあげは、「めちゃめちゃおいしい」とまではいかなくても、からあげとしては一応成立しています。ここからさらに10秒削り、20秒削り、30秒削り、、、どこまで短くするのかというと、「中まで火が通っていないよ」とクレームが出るか、お客さんが食中毒になるまでです。恐ろしいですね。でも学習塾のほとんどはこんな状態なのです。

 

はじめは「うちはお子さまの成績上げます」「志望校まで目指して頑張りましょう」と優しいことを言ってくれます。質問があれば丁寧に答えてくれます。授業を理解しているか気にしてくれます。ちょっとでも成長が見られれば「すごい、できるようになったね」と一緒に喜んでくれます。はじめは生徒にもやる気がありますので、多少の成績の伸びはあるでしょう。でもそんないい時代は次第に終わりに向かっていきます。これまではできないところを見つければ丁寧に教えてくれたのに、そのできないところを見つけてくれなくなります。生徒に対する関心が薄れてきているのです。でもそれが漸次的であるがゆえに、生徒もその関心の薄れに気づくことはありません。また子どもたちは分からないところがあっても、自分自身ではそれを直視しようとしません。なぜならできないところを解決するのは面倒くさいし、時間がかかるし、問題があっても「見てみぬふり」をすれば楽だからです。だからこそ、子どもたちのできない・分からないは、指導者が注意して見なければならないのです。にもかかわらず、学習塾で生徒への関心が失われていれば成績が上がるはずがありません。生徒が「ここまではできている」「これはできていない」というものを知らないのにどうして成績を上げることができるでしょうか。塾の指導が疎かであったということを知るのはたいていが受験が近づいてからです。受験で失敗、あるいは志望校を下げざるをえなくなって初めて、塾の授業が成績を上げるものではなかったと気付くのです。いや、それに気づけばまだましで、塾の手抜きに気づかずに卒業していくことも大いにあるのです。

 

個人塾は大手塾に比べればちっぽけなものです。知名度・合格者数・宣伝力など全く歯が立ちません。しかしながら、個人塾が大手塾を完全に圧倒しているものが2つあります。それは「自分の生徒の実力を何としても高めるという気持ち」と「実際に成績を伸ばすことができる指導力」です。目の前の生徒の成績を上げれるか否か、志望校に合格させられるか否かは、塾の生存に大きくかかわりますので、それはもう必死です。そもそも大手塾では伸ばすことができない生徒がいます。それは中下位の生徒です。逆に成績の高い生徒を伸ばすことなど大して難しくありません。「えっ?成績が上位の生徒の方が指導大変なんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、実際は全くの逆です。勉強がある程度できる子は、それなりに勉強意欲が高く、理解も早いので、説明が下手な指導者であっても、高度な内容の指導であっても、自分でかみ砕いて理解することができます。極端な話、アルバイト講師が模範解答と解説を手に授業をやっても、子どもたちは勝手に伸びていきます。一方成績が高くない子どもたちの指導を説明が下手な指導者が担当したり、科目に対する理解度が低い指導者が担当すると成績の上昇は全く見込めません。勉強ができない子が個別指導塾に通っても成績が伸びないのは、担当するアルバイトに知識も経験も丁寧さもないからです。本来であれば成績中下位の生徒たちほど、優秀な指導者が担当するべきなのですが、実際の塾の現場では、上位クラスはエース講師が、下位クラスはダメ講師が担当するのです。それはなぜか。合格実績を上げるためです。トップ校、準トップ校に一人でも多く合格させるためです。それゆえ成績上位クラスに重点がおかれ、その他大勢の「本来であれば伸びるべき子どもたち」が軽視されてしまうのです。

 

6分揚げるからあげも、4分しか揚げないからあげもどちらも「からあげ」というものには違いありません。しかし厳密にはこれらのからあげは全く違うものです。「おいしいからあげ」と「そこそこのからあげ」です。「そこそこのからあげ」に慣れていれば何も文句はありません。2分も早く仕上がるしむしろ早くお腹を満たすことができます。でも残念ながら本来ならば味わうことのできるからあげの美味しさは味わうことができません。あのカラッとした食感、ジューシーな肉感を知ることができないのです。同様に、学習塾も生徒を相手に勉強を教えていれば、それは「塾」というものに違いありません。しかし、厳密には全く違います。「生徒の成績に責任を持ち、成績を上げることができる塾」と「生徒の成績に責任を持たず、成績を上げることができない塾」です。もし、後者しか知らなければ「塾ってこういうものなのかな」と疑いを持たないままかもしれません。それが大手塾であればなおさら「きちんと指導してくれているだろう」という安心感があります。でも大手塾であろうとちっぽけな個人塾であろうと、成績を伸ばさなければもはやそれは「学習塾」とは言えません。青凜館はどこよりも「学習塾」であることにこだわって指導しています。

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