2024年3月5日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

日本語のお勉強

日本語はとても繊細な言語で、ちょっとした言葉の選択により、自分が意図していない意味として相手に伝わってしまうことがあります。その一つが助詞です。まずは以下の3文を見てください。

 

①私はその仕事をやります。

②私もその仕事をやります。

③私がその仕事をやります。

 

①では「は」という助詞を使っています。「は」という助詞は最もオーソドックスで使い勝手のいい助詞です。「私は学生です。」とか「私は須恵町に住んでいます。」など、説明や単なる事実の描写に頻繁に用います。ただし、「は」には他と区別する意味合いもあるので、「私はその仕事をやります。」には、「ほかの人はやらないけど、私はやります」という対比の意味合いが透けて見えるはずです。

 

②では「も」という助詞を使い、「ほかの人と同じく、自分もやります」という付加の意味合いがあります。昨日中2の授業で取り扱った文章でも、「何かの仕事を抱え込んだとき、見当がつけられる人と付けられない人がいます。」という内容があり、その後に「試験でも」とあれば、先を読まずとも「見当がつけられる人とつけられない人がいる」という展開になるのは自明です。限られた時間内で早く正確に読むためには、このような自明の個所をさらりと読み飛ばす訓練をしなければならないのです。

 

③の「が」という助詞を使うと主語の部分が強調されるイメージがあります。例えば、何人かがその仕事をやりたがっている中、「ここは私にやらせてください」と申し出る様子を想像してみてください。ほかにも、窓ガラスを割ったときに、先生から「誰が割ったんだ?」と聞かれたとき、「私はやりました」「私もやりました」という人はいません。「私がやりました」と答えるはずです。これは窓を割った可能性のある人が何人かいる中で、割ったのは「私」と主語の部分を無意識に強調しているのです。

 

私たちは助詞の「は」「も」「が」を無意識に使っていますが、プロの書き手はそれらを意図的に使い分けているということを認識することが重要です(入試ではこれ以上に重要な主格の助詞として「こそ」というものがあります)。大人は「正しく読みなさい」と簡単に言いますが、それは決して簡単なことではありません。大人であっても言葉の端々を拾い読みして、本人の意図していない意味を受けとる(もしくは恣意的に意図を捻じ曲げる)わけですから、そう考えると中学生の段階で言葉のルールを知ることに無駄なことは何もありません。

 

また、昨日の英語の授業では「現在形」と「現在進行形」の訳についても強調しました。「I play the guitar.」と「I am playing the guitar.」の違いです。こういう場合、多くの生徒は現在進行形のほうは正確に訳すことができます。be動詞+~ingは特別な表現としてしっかり頭に叩き込まれているのでしょう。問題は現在形つまり、I play the guitar.を「私はギターを弾きます。」と訳せるかどうかです。もしこの文にevery dayやafter schoolなどの言葉があれば、「ギターを弾きます」という訳を簡単に導けるはずです。しかし、現在を示す語句がなく、ただ単にplayという動詞だけからすぐに「弾きます」を導ける子は多くはないでしょう。「弾いています」とか「弾けます」などと答えてしまうのです(特に中1の終わりにcanを扱って、「可能」という表現を覚えたからか、「弾けます」に限らず「歌えます」「書けます」などなんでも「可能」の訳にしてしまうのは毎年見慣れた光景ではあるのですが、それではダメです。早く卒業しましょう。英語の授業なのに日本語学校になってしまいます)。

 

青凜館の生徒たちは「日本語って難しい」と感じているでしょう。言葉とは本来難しいものです。日本語は不完全な形であっても、相手が意味をくみ取ってくれるので何となく意思疎通ができます。だからこそ、勉強や試験においてはじめて「自分がいかに不完全で曖昧な表現を使っていたか」を痛感するのです。「これで合っているかな」とか「これって何か変だよな」といろいろなことが気になりだすと、それは実力が付き始めている証拠です。それがさらに実力を高めていくと、「これで間違いない」「ここが変だから、こうしよう」といえるまでになります。君たちが目指すべきところはまだまだ先なのです。

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