タイトルは江戸時代後期の平戸藩藩主であり、剣術士でもある松浦静山の言葉です。松浦は剣術書「剣談」のなかにこの言葉を残しています。現代ではプロ野球の野村克也さんの言葉として認識している方も多いでしょう。
受験に臨み、合否が出るパターンとしては4つのものがあります。
①全力で勉強して、合格する
②全力で勉強して、不合格になる
③適当にやって、合格する
④適当にやって、不合格になる
①の「全力⇒合格」のパターンが最も理想的なゴールだといえます。勉強に注力し、それが結果となって現れるのですから、文句のつけようがありません。そもそも公立高校受験は、やるべきことをしっかりと実行できれば、合格できるものだと私は考えています。
②の「全力⇒不合格」のパターンは残念ではありますが、全力を出したことで「自分が課題を克服するにはどれくらいの時間が必要か」「どこが足りなかったのか」を見つめなおすことができます。また、志望校で勉強についていくのに不十分であったわけですから、下手に落ちこぼれるよりも、私立で出直したほうが自信にもつながるという捉え方もできるかもしれません。
④の「適当⇒不合格」に関しては言うまでもなく当然の結果です。勉強せず、まともな知識もないのに合格できる高校などありません。高校に入学しても、周りには「勉強頑張ろう」などと高いモチベーションを持った子はいませんので、大学受験も困難が予想できます。高校受験よりも大学受験のほうが、将来の人生を左右するのは間違いありませんが、高校に入学するということは高校3年間での学習環境が決まるということです。偏差値が高い高校のほうが勉強の意識が高く、偏差値が低ければそれ相応の意識しかないのです。高校での学習環境というものを重視するならば、「高校に入ったら」などと考えずに、高校受験から必死に勉強するべきでしょう。
さて、問題は③の「適当⇒合格」パターンです。たいして時間をかけず、小学校から蓄積した貯金で合格したということは素晴らしいです。ある程度点数の取り方も分かっているのでしょう。人が本気で反省するのは「失敗したとき」なのですが、この子は合格したので反省などはしないでしょう。何なら「受験って楽勝じゃん」「高校に入っても最後だけ頑張ればいいよね」なんて思っているかもしれません。そして大学受験で不合格になるものとして最も多いのがこのように「高校受験をあっさり突破した子」なのです。
「合格体験記」などというものがありますが、そういうものにそれほど価値はありません。私も大学に合格したときに、高校から書くように言われましたが、ごく当たり前のことだけを列挙した結果、個性や感情のないありきたりな体験記になったように記憶しています。合格するためにやらなければならないこと、そしてそれに必要な時間などは私が書くまでもなくみんなある程度分かっているからです。それに対して、「不合格になった子から話を聞く」ということは非常に価値があります。そこには「リアル」があるからです。不合格になった子は生活、勉強、時間の使い方などあらゆることの見直しをします。とりわけ、大学受験に失敗し浪人する決意をした場合はなおさらでしょう。ただ単に指導者が「時間をかけて勉強しなさい」というのと、不合格者が「勉強に時間を割かなかったから浪人することになった」というのでは言葉の迫力が違います。北九州予備校では毎年「合格体験記」ではなく「不合格体験記」というものを発表しています。それぞれの言葉で反省の弁を述べていますので、是非一度読んでみてください。
「不合格体験記」の中で最も多い不合格の原因は「時間をかけなかったこと」です。成績を上げたいのならば勉強する時間を増やすのが手っ取り早い方法です。昨日の授業の中でも言いましたが、学力は月日を経れば自然と上がるものでもなく、自らが時間をかけて努力しなければ上がることはありません。その努力とは「できない」ことを「できる」ようにする努力です。2点を通る直線の式を求めるのに苦労しているようでは話になりません。不定詞の三用法がスラスラ言えないようでは話になりません。はっきり言ってこれらは基礎とも言えない、いわば「基礎以下」のことです。しかし、これらが今現在できないということはどうしようもありません。今まで復習だの、反省だの、見直しだのをまともにしてこなかったのでしょうから。ですがこれらが分かっていないということがわかったのですから、これからやるべきことは明白です。直線の式を求める練習をする、不定詞の勉強をやり直す、です。そういう小さの努力を積み上げていくことが、1年後の合格へとつながるのです。自分の生徒にはきっちり「合格体験記」を書いてもらいますので、そのつもりで臨んでください。