2024年6月21日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

環境を選ぶ

「あまり勉強していない」という子に限って、定期考査などで90点以上をとることが多々あります。たいていはそういう子には辛辣な目が向けられるものですが、きっとその子は嘘偽りなく「あまり勉強していない」と言っているのです。人はそれぞれ「自分の中の普通や基準」というものを持っています。携帯電話を持つのは普通と考える子もいればそうでない子もいます。塾に行くことを当たり前だと感じる子もいればそうでない子もいます。生まれ育った環境やこれまでに受けてきた教育が異なるので、「それぞれの普通」が異なるのはごく自然なことでしょう。「あまり勉強していない」という子も、本人の基準に照らし合わせてそのような答えになったのです。そして大抵そのような子は定期考査で90点を超えたくらいでは満足しないのです。

 

そういう子がいる一方、試験前日に必死で詰め込んだだけなのに「めちゃくちゃ勉強した」と言ってしまう子がいます。60点を超えれば「まぁこんなものか」、70点を超えれば「やっぱ頑張っただけのことはある」、80点を超えようものなら「直前でできる俺って天才じゃん」と誇らしい顔をします。

 

「そこそこの勉強では、勉強したとは言えない子」と「直前の詰め込みで、勉強したつもりになっている子」には、大きな隔たりがあるのは言うまでもありません。その違いが、「90点でも満足できない」と思うか、「70点で満足」と思うかの違いを生みだしていきます。さらに言うと、それの積み重ねが、「学力上位校」に進学するか否かを決めます。高校には同じ学力層の子が集まります。もちろん「トップ校」であれば、勉強に対する意識が高く、勉強することを当たり前に感じており、大学受験では旧帝大を中心とする国立大学を目指すでしょう(もちろん勉強に対する意識が低い子もいますが、それはトップ校においては相対的に低いだけであって、同年代の平均的な意識からみると高いものです。事実、トップ校においては、成績下位の生徒でも地方国立大学には当たり前のように合格していきます)。そして高校の偏差値が低くなれば、その分勉強に対する意識も低下していきます。高校入学の段階で大きく学力差があるにもかかわらず、高校に入ってもその差は埋まることなく、広がっていくばかりです。そんな向上心の軽薄な環境においては、自分だけは頑張って勉強しようと思っても、周りがそう思っているとは限りませんので、堅固たる意思がなければ努力し続けるのは困難でしょう。

 

大切なのは「環境を選ぶ」ということです。人間というのは良くも悪くも周りの環境から影響を受けるものです。昨日の東京都高校入試に國分功一郎さんの『中動態の世界』という文章が使われたのですが、その終盤に、「意思は、実現に向かっているのだから、何らかの力、あるいは原動力である。ただし、力ないし原動力とはいっても、制御されていない剥き出しの衝動のようなものではない。意思は目的や計画を持っているのであって、その意味で意思は意識と結びついている。意思は自分や周囲の様々な条件を意識しながら働きをなす。(中略)意思は物事を意識していなければならない。つまり、自分以外のものから影響を受けている。」という文章がありました。自分が何かをするときには、必ず意思が働いており、その意思は自分以外のものから影響を受けて沸き起こるという内容です。自分がこれからやろうとしていることと、自分を取り巻く環境にギャップがあれば、きっとうまくいきません。

 

学習塾に関しても同じことで、「勉強を頑張りたい」と思っていても、塾とのギャップがあればうまくいきません。「勉強を頑張りたい」ならば「勉強を頑張れる塾」に行くべきなのです。そもそも学習塾において、「勉強を頑張りたい子」と「勉強にやる気がない子」は混ぜるべきではありません。水と油のようなもので、お互いが反発しあいます。混ぜるな危険です。万が一混ぜようものなら、その塾は一瞬で、「やる気のない子」にとって居心地の良い塾となってゆき、その結果、「勉強したい子」の不満だけが募っていくのです。「塾を選ぶこと」とは、「環境を選ぶこと」というのは決して大袈裟な表現ではありません。

 

そして、高校受験においては、受験校を選べる立場にいると断然有利です。限られた、ごくわずかな選択肢の中から消去法で選ぶのではなく、十分迷えるだけの選択肢を持っておくべきです。選択肢の多さはそれだけで大きな財産となります。そのために必死に努力するのです。

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