2024年7月27日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

AI時代

コンビニエンスストアは、私たちの生活にとって切っても切り離せない存在です。24時間いつでも、ほしいものを購入することができます。しかし、そこでの会話は非常に無味乾燥なものです。

 

店員「いらっしゃいませ。こちら温めますか?」

客「はい」

店員「冷たいものと袋は分けますか?」

客「はい」

店員「750円です」

客「・・・(無言でお金を渡す)」

店員「1000円からでよろしいですか」

客「はい」

店員「250円のお釣りです」

客「・・・(無言で受けとる)」

店員「こちら商品です。ありがとうございました」

 

 

この血の気の全く通っていない会話をどう思いますか。「機械的だな」と思いませんか。店員さんも形式的な質問をして、客も形式的に答えていく。名づけるならば「テンプレート会話」です。もちろん店員さんもそのように教育され、客も質問にきちんと回答しています。何ら問題ありません。しかも、このようなやりとりはコンビニに限った話ではありません。スーパーでも、タクシーでも、洋服店でも、施設の受付でも、似たような「テンプレート会話」がなされているのです。

 

ここから今日の本題です。「機械的」なものは近い将来「本物の機械」にその役割を奪われてしまいます。近い将来どころか、現在進行形で侵食が進んでいます。スーパーに行けばセルフレジがあるし、ホテルのフロントにはロボットがいるし、寿司も機械がつくります。「機械」は頭がよく、処理が早く、何より人件費がかかりません。人間のように文句も言わず、労働基準法に引っかかることがありません。そしてそれは、今の子どもたちとその親が真剣に考えなければならない問題なのです。

 

政治の世界で「教育」が議題に上がると、なかなか意見がまとまりません。それは議員一人一人が「教育とはこうあるべきだ」という考えを持っているからです。「経済」や「環境」などの議論においては、ある程度専門的な知識を持った人々が主導権を握るのですが、「教育」ともなると、多くの人間が「専門家」を気取り始めます。それはひとえに、すべての人間が「教育」というものを経験しているからです。大人の中に「教育」を受けていない人間などいないでしょう。すべての人が大人になる過程で「教育」されてきたのです。もちろん子どもを持つ親も例外ではありません。子どもに対する「教育」の大部分が自分の経験に裏打ちされたものではないでしょうか。

「自分が中学生の頃は勉強なんてほとんどやっていなかったから、自分の子どもも勉強は高校に入ってからでいい」

「自分は受験直前から勉強を始めたから、子どもも中3の部活引退してからでいい」

「私も本なんて読まなかったから、子どもにも読書のことは言わない」など

「自分は○○だから、子どももも○○」という思考は危険だと気付いてください。

 

藤原和博さんの著書『10年後、君に仕事はあるのか?』のなかにも同様の記述があります。藤原さんは、東京都の公立中学に民間人の校長として就かれた方です。そんな、中学生の現状をよく知っておられる方が書かれた本です。

“君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追及できないということ。会社で正社員にはなれないかもしれないし、大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなるでしょう。新卒の一括採用が残っているかどうかさえ怪しい。結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかも分かりませんよね。だから、親の人生モデルを前提として説教しても通じない。(中略)親世代が子ども時代には、面倒なことや手間のかかる仕事がまだまだ多かった。不便な社会を知っている世代なんです。でも、君たちは違います。何かと便利な「コンビニ社会」に生まれてきたから、好きなことでもして時間をつぶさなければ暇で困ってしまう。「人生とはいかに時間をつぶすか」という感覚が強くなるはずです。”

 

 

きっと子どもたちからスマホを奪えば、暇で困ってしまうでしょう。ゲームがなくなれば、暇で困ってしまうでしょう。でも、その暇な時間を勉強にあてる子はごくわずかです。先にも書いたように、現在進行形で社会が変化しています。そしてそのスピードは、数十年前のそれとは比べ物にならないほど速いスピードで進行しているのです。昔の「普通」が、今では通用しません。昔は「どうにかなった」ものが、今では通用しません。そう思うべきです。でなければ、簡単に社会に後れを取ることになります。

 

中学生が部活をすることを否定はしません。携帯電話を持つことも否定はしません。ただし、時間は有限であるということは知っておくべきです。誰しもが平等に与えられた24時間のうち、勉強に割く時間が多い子と少ない子で力に差が生まれるのは当然です。そして、勉強を通して身につけた力は、一生子どもたちの人生に有益なものとなるでしょう。手っ取り早く身につけた「機械的な処理」「機械的な知識」など、これからのAI時代に誰が必要とするでしょうか。

 

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