このシリーズも今回で最後です。登場人物はこの2人です。
◆Aさん:定期考査で毎回コンスタントに9割をとれる子
◆Bくん:定期考査では6割にやっと到達する程度の子
ーでは定期考査の直前にはどんな勉強をしているのかな。
A:私は、2,3日前にはワークもプリントも一通り終えているので、自信のないところや問題演習で解答に時間がかかった問題だけをピックアップして勉強しています。定期考査は入試と違って、ワークや学校で配られたプリントと全く同じ問題や似た問題が出題されるので、反射的に解答が出てくるまで精度を高めたいんです。また、教科によっては問題数が多くて、いちいちその場で解法を模索していたのでは解き終えることができないものもあります。解答のスピードを上げるためにも、不安を払拭して試験当日を迎えたいんです。
B:ぼくは、直前に3日くらい前からワークを解き始めることが多くて、解き終わるのは前日とかになります。授業で配布されたプリントはほとんど勉強できていないので、試験直前の休み時間に山を張って覚えます。その覚えた言葉を5か所くらいの回答欄に書いたりします。そうすれば、一つくらいはあたるかなぁ、なんて・・・。でも、あんまり当たらないかも。
ーそうか。山を張るって言ってたけど、何を根拠にして山を張っているのかな?
B:何となく難しい言葉とか、カタカナ語とかは出そうな気がしませんか。でもうちの理科の先生は結構マニアックな問題を出してくるからどう勉強していいか分からないんです。
A:ちゃんと理科の授業受けてる?先生の口調とか板書の仕方から、すごくヒントを出してくれているよ。たまに教科書に載っていないようなことを聞いてくることもあるけど、授業でちゃんと話しているから、聞いてたら解答できるよ。
ーでは、試験が終わった後は何か特別なことはしてるかな?
B:ぼくは、勉強から解放されて、部活に精を出しています。勉強はしばらくお預けです。
A:私は、まず答案が返ってくる前に、できなかったところを見直して、解きなおしています。だって、一生懸命勉強したのに解けなかったらすごく悔しいじゃないですか。だから悔しさが残っているうちに復習をしています。「鉄は熱いうちにうて」ですね。あとは、定期考査が終わったとたんみんな勉強しなくなるから、私はそんな人たちを横目に、いつも通りの勉強を続けます。ほかの人が怠けている時こそ、自分を伸ばすチャンスだって聞いたことがあったので。
ーそうだね。定期考査の前は誰でも勉強するわけだから、大切なのは試験が終わった後の過ごし方なんだね。
さて三回にわたってお送りした「定期考査を考察する」。定期考査は年に4回実施されます。失敗したとしても、リベンジの機会はすぐにやってくるのです。オリンピック選手がリベンジしようと思えば、4年待たなければなりませんが、子どもたちは数か月後にチャンスがやってきます。定期考査の借りは定期考査で返す。決して、「部活が…」とか「先生が…」とか言い訳することなく、自分の実力と向き合ってください。そもそも1週間後に定期考査は迫っているのです。とにかく勉強しましょう。友達とLINEしたり、動画見たり、遊びに行ったり、マンガ読んだりと、余暇を満喫しているかもしれません。しかし一方で、コツコツ勉強している人がいるのです。周囲の大人から嫌味を言われたくないのなら「とにかく勉強しましょう」。自分を変えられるのは自分だけなのです。
※教科書から大きく外れた出題はあるものと思ってください。私の学生時代にも、「電力量を計るメーターは、あなたの家のどこにありますか(理科の問題)」や「朝食をbreakfastというのはなぜですか(英語の問題)」が出題されました。こういう問題も受け入れるしかないのです。子どもたちはこういう問題があると「この先生おかしい」などと愚痴を言いますが、言ったところで先生の性格が変わるわけではありません。他者を変えることに注力するのではなく、自らが様々なことに対応できる人間に変わっていきましょう。
※定期考査対策を塾主導で行うところが多いはずです。それは、塾も子どもたちもそれがあたり前だと思っているからです。塾は定期考査対策授業を行います。指導者は「教える」行為によって、この上ない満足感を感じます。子どもたちも、塾で対策プリントなどたいそうなものをもらって、「これさえやれば高得点GET」などという幻想を抱きます。親も、塾に行かせているのに「自学」なんて考えられないと思うはずです。しかし、我々塾の人間は学校の先生がどんな先生か知りませんし、授業でどんな話、強弱のつけ方、板書をしているのか分かりません。そんな人物が、「これは出るかもしれないね」とか「これはきっと出ないよ」などど偉そうに指導するのは、どこかおかしいと思いませんか。私は、入試であれば、どのように出題され、どのような考え方を要し、どう対策を練らなければならないかを知っています。しかし、学校の定期考査の前には無力です。でも安心してください。学校の授業を知り尽くした人がいます。子ども自身です。子どもたちは、先生の性格を知っています。先生の声の強弱を実際に耳にしています。板書を目にしています。「あの先生は細かいこと聞いてくるから教科書の欄外も大事だな」とか「あの先生はプリントからの出題が多いから、まずはプリントから手をつけよう」などと、定期考査は入試とは大きく異なる戦術が求められるのです。このようなこともあり、青凜館では「定期考査対策授業」などは行わず、定期考査2週間前からは「自学」となります。試験範囲も、理解度も異なるので、授業を行うことは効率の面でも生産性が高くありません。また対策プリントなども配布しません。教科書とワークとプリントでほぼほぼ十分です。足りなければ、問題集はいくらでもありますので、自分で問題を見つけて演習できるはずです。「塾」という場所は子どもたちを甘えさせる場所ではありません。「子どもたちを成長させる場所」であり、「子どもたちを独り立ちさせる場所」であり、「子どもたちが困難に直面したときに、そこを乗り越える力を身につけさせる場所」だと思います。少なくとも、私はそうありたいと思っています。ですので、定期考査は自分との戦いを課しているのです。
※これは私の愚痴でもありますが、学校の定期考査の問題をコピーして、生徒に解かせている塾があります。これをどう思いますか。別にいいじゃんと思うかもしれませんが、これには大きな問題が二点あります。
一点目は、過去問を解くという根底には、「楽をして点を取りたい、無駄な勉強をしたくない」という想いが透けて見えます。たしかに、副教科(技術・音楽)などは、毎年同じ問題を使いまわすことが多いため、過去問をやっておけば、楽に点数が取れるかもしれません。味を占めた子は、次のテストでも「過去問ください」と罪悪感なく言ってくるでしょう。無駄なことをせずに、ある程度の点が取れるなんて素敵なことですね。でも本当にこれが正しい教育なのでしょうか。「過去問やって、高得点とって、評定もよくて、何が悪いんですか」という意見はあるでしょう。でも私は、きちんと、自分の頭を使って勉強してほしいです。試験で問われること以外にも、大切なことを授業で学んでいるはずです。義務教育で学ぶことに、無駄なことはありません。知っておけば、生活が豊かになり得るから勉強するのです。それ以上の深遠な理由などありません。
そして、二点目の理由ですが、定期考査の問題自体が学校の先生の著作物だからです。容易にコピーし、配布するなど許されるのでしょうか。
以上の理由から、青凜館では、定期考査の過去問を解かせるようなことはありません。