2024年3月5日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

せっかくなのでオリンピックの話でも…

平昌での冬季オリンピックも残すところ1週間となりました。韓国は日本と同じ東経135度線を標準時子午線としているため、日本との時差はなく、健全な時間での五輪観戦ができます。でも東経135度線は韓国を通っていません。以前は30分ほどの時差がありました。疑問に思いませんか?このように目の前の事実に対して「どうしてだろう?」「なぜだろう?」と考えることはあるでしょうか?(韓国の標準時子午線は歴史的背景などもあり度々変更されています。興味があれば調べてみてください)

 

便利な世の中になると、物だけでなく情報も容易に手にすることができます。分からないことがあればすぐに答えを手に入れることができ、より時間の短縮につながります。科学技術や学問の進歩により、電卓が誕生し、筆算の苦しみから解放されたことと似ています。小学校や中学校、大学受験に向けて、どんなに面倒くさい円周率の計算も、桁数の多い加減乗除の計算もやってきたのに、大人になって電卓を使うことを覚えると、計算力・計算スピードは一気に衰えます。問題と答えだけにフォーカスし、その間にある複雑なものを飛ばしたいという願望が、現代の科学技術を進化させてきたことは否定できません。では、その見過ごされてしまう複雑なもの、面倒くさいものは無駄なことなのでしょうか。とんでもないことです。それらは無駄どころか、これからの社会においてよっぽど価値のあるものだといえるでしょう。そもそも、日本のように、経済的にも技術的にも熟成した国において、「単に答えを求める」、「単に言葉を知っている」ということの優位性は、思っているほど重要視されません。答えなんて簡単に調べることができるからです。それよりも重要なのは、「なぜそうなるのか」「どういう思考で答えにたどり着くのか」を論理的に説明することです。日常的に「なぜ?」「どうして?」と考えられる子は、社会に出ても様々な問題点に気づき、解決を模索することになるでしょう。しかしながら、そうでない子は、気づくべき問題を見過ごし、何も不思議に感じないまま過ごしていくことになります。AIが仕事を奪っていくといわれている未来の社会において、どちらが重宝されるかなんて目に見えています。そのような意味では、現在進んでいる教育改革は大変有意義なものです。頭の良い大人から子こどもたちに、「これからの時代においては、単純な知識などではなくて、物事を深く知り、細かく分析し、思考し、その上で判断していくことが必要なんだ」と重要なメッセージを送られているのです。

 

子どもに限らず、親世代の中にも、「思考力なんて必要なのか」という疑問を持たれる方は多くいらっしゃいます。「思考力を問う入試ではなく、以前までの単純知識を問う入試のほうがいいんじゃないの」とお思いになる気持ちもわからないわけではありません。でもそれに対する私の回答は、「思考力が大事」です。国がそういう方針なので、その方向で勉強するべきだからです。別に国の政策を肯定しているわけではありませんが、国がそのような方針を打ち出している以上、そこを否定してもしょうがないのです。「変わらないものに対して不平不満を言うのではなく、変えられるものに時間を費やしていく」べきです。成績の悪い子がすぐに、学校の先生の授業が分かりにくいとか、先生変えてほしいとか言いますが、そんなことを言う暇があれば、自ら分かる努力をしなさい。わからなければ質問に行けばよいし、それでもわからなければ教科書や参考書を使って調べることだってできる。今日は、「調べる」ということに関しては、事欠かず不自由のない時代なのです。

 

先日、スピードスケート女子500メートルで金メダルに輝いた小平奈緒選手が仰っていた言葉が大変印象的でした。

「与えられるものは有限、求めるものは無限」

受験勉強だけでなく仕事においても、「時間があったら・・・」という人は少なくありません。何かに失敗したときの言い訳として最も聞かれるものの一つです。そもそも、現代社会において「時間がない」ということは当たり前です。その中で暮らしているのです。そのことをきちんと受け止めるのか、仮定法的に捉えるかが、仕事の結果を大きく分けます。小平選手のように一流の方は、完璧を目指しながらも、一方でどこまでやっても完成形にはたどり着けないということは知っているでしょう。与えられた時間の中で、どこまで自らのパフォーマンスの精度を高めることでが結果が生まれるのです。

 

オリンピックに限らず、スポーツというものは大きな感動を生みます。それはひとえに、パフォーマンスを通して、選手の努力を感じ取れるからではないでしょうか。努力を重ねた上でのパフォーマンスには、その結果がよかろうと悪かろうと人の心を動かす熱量があります。そして受験に向けて本気で戦った子どもにも同様の熱量を感じます。そこそこの勉強でそこそこの高校に進学した子からは熱いものは感じません。そんな熱のない受験などに何の意味があるのでしょう。自分の人生なのに本気になれずに、誰が味方してくれるのでしょうか。だから、勉強すると決めた以上は、本気で勉強しなさい。そうすれば、周りの大人も本気で応援してくれるでしょう。

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