じ-りつ【自律】
自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って生きること。(広辞苑第六版より抜粋)
中学受験、高校受験、大学受験、これらの最大の違いとは何でしょうか。試験内容や科目数が違うのは当然ですが、私が考える最大の違いは、「子と親の距離」です。
中学受験の場合、親の意向や経済状況が大きく反映され、受験する中学も受験する学校数も親が主導権を握ります。また、子どもの勉強を親が注意して見ることも欠かせません。親が先導し、子がその後ろをぴったりついて進んでいくようなイメージです。
一方、大学受験には親の出る幕はほとんどありません。勉強内容のアドバイスを的確にできる親はほとんどいませんし、受験校も子ども自身で決めることが多いです。頑張る我が子を、終始遠くから眺めるしかないのです。
その中間に位置する高校受験において求められるのは、親のテリトリーから脱し、自律への一歩を踏み出すことです。これを青凜館では「自律」と定義づけています。高校受験に限定すれば与えられた勉強で対処できるかもしれませんが、大学受験では自ら課題を見つけ、克服していかなければならないのです。中学時代に自発的に学ぼうとしなければ、高校に入った習慣どう勉強してよいかわからず、手をこまぬいてしまうでしょう。そしてそのような生徒は高校入学と同時に成績が下がり始め、勉強へのやる気が起きず、適当な言い訳をして努力することをどこかに忘れてしまうのです。
青凜館では定期考査の期間は授業を行いません。完全自習となります。大多数の学習塾では、対策授業を行ったり、対策プリントを解かせたりするのですが、当塾では全くいたしません。それは、「与えられる勉強」ではなく「主体的に取り組む勉強」が重要だからです。周りの大人がいつでも手を差し伸べてあげるということは、子どもにとっては楽なことです。自分で考えなくても、問題解決の道具を与えてくれるわけです。大人は大人で、「子どものために尽くしている」という錯覚に陥っているのです。しかし、大人は子どもの人生に一生付き合っていくわけではありません。子どもは遅かれ早かれ大人のそばから離れ、自律しなければならないのです。私は、そんな子どもに対し、親切心であれもこれも提供することは、子どもの自律を阻害しているようにしか思えません。子どもに対し、問題解決の道具を与えるのではなく、自分で道具を作れるように訓練することが大人の役割なのではないでしょうか。
高校受験に向けてこれ以上ない努力を重ねた子どもの表情は、数年前の幼いそれとは比べ物にならないほど逞しいものです。自らが主体的に学んだ子どもは、そこら辺の大人以上に説得力のある文章を書くようになります。学ぶことは、大人に近づくことだと思います。高校受験という、人生の中にある数少ない自律のチャンスを逃すべきではないのです。
ちなみに昨日、神奈川県の公立入試が行われました。推薦入試などではなく、一般入試です。試験日が早いだけでなく、問題もそこそこ手ごわいです。その中に、非常に難しい漢字の読み問題がありましたので、ご紹介します。ぜひチャレンジしてみてください。
(問)彼の【苦衷】を察する。
大人でも、なかなか確信を持てないかもしれません。私も言葉自体は知っていましたが、実際に会話で使ったことはありません。【苦】を「く」と読むのは分かりますが、問題なのは【衷】です。【衷】を用いた熟語を思い浮かべることはできますか。よく使われるのは【折衷(せっちゅう)】でしょうか。【和洋折衷】や【折衷案】などの表現を一度は耳にしたことがあると思います。【衷心(ちゅうしん)】【微衷(びちゅう)】などの言葉を使う方もいるかもしれません。【衷】はすべて「ちゅう」と読みます。それ以外の読み方があるのか調べたところ、「ちゅう」以外にはありませんでした。つまり、【苦衷(くちゅう)】を知らなくても、【折衷】や【衷心】という言葉から答えを導くことができるのです。語彙力は地道に育んでいくしかありませんね(それにしても【苦衷】は難しすぎるのではないかと、個人的には思います。一方、福岡県高校入試の漢字が簡単すぎるということも言えます。数年前には、【景色】【腰】の読み、【支える】の書き問題が出題されました。高校入試とは思えない問題ですが、立派な入試問題です)。【苦衷】の読み方が分かったら、次にどうしますか。意識の高い子は、辞書でその意味を調べるのです。青凜館ではそんな子に育てていきます。