毎週日曜日は下町ロケットを見るようにしています。昨日の放送後には、「杉良太郎がかっこよすぎる」ということが、ネットで騒がれていたようです。神田正輝演じる的場や、福澤朗演じる奥沢に、よくぞ言ってくれたとスッキリした場面が印象的でした。そんな昨日の放送の中で、私が最も印象的であったのは、後半のあるシーンです。帝国重工に勤務する利菜(土屋太鳳)がつくったロケットバルブが、父(阿部寛)の経営する佃製作所のロケットバルブに性能で大きく敗れてしまいました。落ち込んだ利菜が、カフェで母親(真矢ミキ)と話している場面に、至る所で何度も聞いたことがある話、だけれども紛れもなく真である話がありました。
莉「相手が身内とか、キャリアが違うとか、そんなこと全然考えなかった。ただ本当に勝ちたかった。佃製作所のバルブ、すごかったよ。もう一生追いつけないかもしれないくらい。気づかないうちにどこかで私、甘えてたのかなあ。」
母「まあ、あなたが佃航平の娘であることは変えられないからね。」
莉「…。」
母「ねえ、パパがいい技術者になれた秘訣、知りたい?」
莉「うん。」
母「人の何倍も、何十倍も失敗してきたからよ。もし、惨敗だったと思うなら、自分に甘えがあったと思うなら、正面からそれに向き合ってみなさい。きっと、次に進む道が見えてくるから。」
莉「(黙ってうなずく)」
また、ちょうど最近読んだ本の中に、このような文章がありました。以下は、ブロガーであるちきりんさんが書いた『マーケット感覚を身につけよう』という本の一部です。内容は、下町ロケットの話と通じつものがあります。
「日本人はよく、「シリコンバレーは失敗に寛容だが、日本社会は失敗した人を許さない」と言いますが、この理解は完全に間違っています。シリコンバレーは失敗に寛容なのではなく、「失敗経験のない人など、まったく評価しない」のです。
なぜなら「失敗経験がない」ということは、「これまでの人生において、チャレンジしてきていない」と見なされるからです。「できる範囲のことしかやってこなかったのでは?」「高い目標を掲げた経験がないのでは?」と疑われるのです。
また、失敗経験のない人は「成功するのに必要な学びを得ていない」とも思われます。失敗から得られる学びは非常に大きく、成功のために不可欠な経験と考えられているため、一流大学を出ても失敗経験のない人は、学びの量や質が足りていないと判断されてしまいます。
このためしばしば若者は、「早く失敗しろ」とせかされます。「できるとわかっていることばかりに時間を使わず、できないかもしれない大きな目標に早くチャレンジしろ。もちろん失敗するだろうが、話はそれからだ」というわけです。
日本で使われる「失敗に寛容」「失敗を許す」という言い方には、「失敗は悪である。悪であるが1回くらいは許してやるべきだ」とか、「失敗は悪いことだが、罰するほどではない」というニュアンスが含まれています。しかし、失敗は悪いことだという認識自体がもはや時代遅れです。」
「失敗は成功のもと」とよく言いますが、私も、現代社会は「失敗は恥ずかしいことだ」「一つの失敗で、人生が終わり」というイメージが行きすぎているように感じます。最近の不祥事の報道を見ていると、「そこまでしなくても」「そこまで叩かれなくても」と思うことも少なくありません。そんな社会の影響もあってか、受験勉強をしている子どもたちも、まるで「失敗することが悪」であるかのように考えているようです。周りができる問題を、自分一人だけできない、そんな経験をたった一度しただけで、「自分はだめだ」「自分は劣っている」「自分には向いていない」と卑屈になってしまいます。そもそも中学生が失敗できないと感じているもののほとんどは、大人からみるといくらでも取り返しのつくものばかりです。定期考査でたった一回失敗しても、挽回のチャンスはすぐにやってきます。もし、高校受験に失敗しても、その後の勉強で十分に取り返すことができます。恋愛での失敗も、友人関係も、家族関係も、部活の失敗も、すべてあとからどうだってすることもできます。大人であればいろいろな角度からものごとを考え、総合的な判断ができますが、どうしても子どもは狭い視野しか持っていないため、安易な結論、手段をとらざるを得ません。子どもの意思だけに任せていれば、「勉強が嫌だからやめる」「頑張りたくないから、レベルを下げる」「間違いたくないから、簡単な問題ばかり解く」となるのは当然です。決して失敗することは悪いことではありません。悪いのは、失敗をして、そこで言い訳ばかり並べたり、自分には無理だと諦めたり、間違いの原因追究を放棄したりすることです。失敗したと思ったときに、そこで取り戻そうとしなければ、それは本当の失敗へと変わります。反対に、失敗したと思っても、それを次の成功、次の成長につなげることができれば、文字通り「失敗は成功のもと」へと変わります。
青凜館の授業の中で、失敗をしない生徒はいません。私も、子どもたちが失敗をしないように、簡単な問題ばかりを取り扱うつもりはありません。そんなことをやっていても、実力は身につかないからです。むしろ、あえて失敗させるような問題を積極的に組み込んでいます。「現在進行形の英作文の中に、1つだけ現在形のものを入れる」「速さの単位だけを変えておく」などトラップを、至る所にばらまいておくのです。初めはそんな安易なトラップであっても簡単にはまってしまいます。初めての経験なのですから、失敗するのは当然です。しかし、そこで子どもたちは失敗の原因を知り、反省するので、次に同様のパターンで間違うことは激減するのです。間違えたときに、「ではどうすればよかったのか」を、言葉で、文字で、明確に示してあげれば、どんな子でも克服することは可能です。成長を止めているのは、子ども自身、あるいは周りの大人の「失敗は悪」「間違いはダメだ」という思いこみが原因かもしれません。総合的な視野をもつ大人に求められるのは、単に子どもの成功を願うことではなく、子どもたちにきちんと失敗と向き合わせて、成功へとつなげてあげることだと思うのです。