中学生の中には、とりあえず与えられたものだけをやる、気が向いたタイミングで始めて、やる気がなくなったらやめるという子が多いのは事実です。そういう子は、たいてい結果は伸び悩みます。勉強を頑張っていてもそんな簡単には結果は出ないのですから、手を抜いていればなおさらです。こういう子の場合、明らかにひどい点数を取ってくれればまだマシです。はっきりと、「君の点数は通常では考えられないぐらいの点数です。どう授業を受けて、どう勉強したらそんな点数になるんだい?」と現実をたたきつけることができるからです。やっかいなのが、平均点をやや上回るような点数を取る子です。そういう子には、「私は平均以上」という自負があるので、何を言われても現実を受け入れることを拒みます。ごく限られたコミュニティの、それもどちらかと言えばレベルの低いコミュニティの平均にいることに、どれだけの価値があるのか不思議ですが…。さらにひどくなると、「あんまり勉強していないのに平均点を超えるなんて、私って天才かもしれない」「親はいろいろ言うけど、私だって本気になればできるし。まだ本気を見せてないだけ!」など自意識過剰になる子もいます。こうなると最悪ですね。「勉強ちゃんとやってるの?」と親が心配して声をかけているのに対し、「大丈夫だから、いちいちうるさい」と言い放つ子もいます。「大丈夫」って何が、どう大丈夫なんですか?たった一度でも結果を出したことがない子どもの、「大丈夫」「頑張っている」「任せてください」「勉強します」「やります」などという言葉を信じる大人はいません。たいていは、その場を紛らわし、逃げるための常套句です。まずは、結果を出してみなさい。400点以上(それも中1の初期は除く)を2回連続で取れば、「大丈夫」という言葉に信ぴょう性が生まれます。定期考査なんて、学校の先生が「この範囲から出題しますので、どうぞ点数を取ってください」と言ってくれているようなものです。冷静に考えて、100点のテストで50点以下を取るなんてなんてありえません。範囲の分かっている試験で点数を取れない(正確に言うと取ろうとしない)人が、何が出るか開けてみれば分からない入試で点数がとれるわけがないでしょう。少しでも将来の入試でアドバンテージを得たい、あるいは上位を目指したいと思うのであれば、毎回の定期考査の勉強にもっと高い意識で臨むべきです。
ところで、ここ最近の当塾はテスト第一弾直前ということもあり、決まった休憩時間を設けず、ひたすらぶっ通しで勉強しています。子どもたちは切りのいいタイミングで各自休憩を取りながら、知識の漏れが無いよう問題演習に励んでいます。休憩と言ってもお茶を飲んだり、糖分を補充したり、トイレに行ったりで、だいたい1時間に2~3分といったところでしょうか。勉強すればするほど、知識に対する欲が出てきます。知識に対する欲が出てくれば、ちょっとした休憩時間も惜しくなります。そして勉強を重ねるだけ、結果に対する執着が湧いてきます。「これだけ勉強して、90点に届かなかったら悔しい!!」「絶対にしょうもないミスはしたくない!!」「学年で1番になってやる!!」など、意地のようなものが生まれてきます。これが見え始めると、定期考査へと安心して送り出すことができます。今日の塾生の様子を見ていると、定期考査で彼らがどれだけの点数取ることができるのかワクワクしてきました。それぐらいの執念で勉強しています。たった5教科ですので、やるべきことはほとんどやっているはずですが、それでもワークを解きなおしたり、よりハイレベルの問題にチャレンジしたりを繰り返しています。たった2週間の学習会にもかかわらず、自分で考えて、なんとかして自分を伸ばそうと努力しています。ちょっとだけ塾生を誇らしく思うと同時に、中学生として勉強を頑張るという当たり前のことを、当たり前にやれている彼らをうらやましく思います。アサヒホールディングスの調査で、「子どもに戻ったら何をしたいか」というものがあるのですが、39.5%の大人が「勉強をしたい」と思っているそうです。ほかでもない私自身も、中学時代に戻ることができれば、もっと勉強して、より自分を高めたいと思います。中学校を卒業してしまえば、中学時代が返ってくることはありません。中学生としての勉強は、中学生である今しかできないのです。中学生としての勉強をおごらず、なあなあにせずやっている塾生に誇りと羨望を感じた今日一日でした。