受験生には、夏期講習から作文の練習をさせています。まさか中学生、それも受験生が書いたものとは思えないほどのクオリティです。そもそも彼らは作文の書き方を教えてもらっていません。「冒頭は一段下げる」「句読点が末尾に来たら、文字と一緒に入れる」「かぎかっこは一マス使う」という形式的なものは小学校から教えられてはいるのですが、「具体的にどのように自分の考えをまとめていくのか」ということは完全に個人のセンスに委ねられているようです。夏休みの読書感想文なども、子どもたちに書かせて終わりで、その後にその作文の構成や内容には何の指導も入らないようです。それもあってか、作文は「ただ自分の書きたいことを、書きたい順番で書く」という意識が強く、そこには「論理」「展開」「具体と抽象」「対比」などの文章をより分かりやすく、説得力を持たせる工夫は見受けられません。また、「推敲」をすることを知らないのか、自分の書いた文章の瑕疵を平気で見逃しているのです。
私が、作文の指導で必ず伝えるのは2点です。
「表面をそっとなでるような、チープな作文にはするな」
「私は、きちんと目の前の問題を考えていますということを伝えなさい」
ということです。
「表面をそっとなでるような作文」とは、何となくいいこと、何となくみんなが書きそうなことを書くことを指します。例えば、「初対面の人と交流する場で心がけるべきこと」というテーマで作文を書いたとき、ある生徒が次のように書きました。
「初対面の人と交流する場で心がけるべきことは、『礼儀』である。『礼儀』があってこそ、気持ちよく交流できると考える。」
「礼儀」というものが大事であることはは、だれしも異論がないところです。でも、どこか深入りせず、なんとなく表面の良いことだけを書いているのが評価できません。なぜ浅い文章になっているのか、それは「礼儀」というものがあまりに抽象的だからです。そして、礼儀がなぜ大事なのかという因果関係が稀薄だからです。「礼儀」のように抽象的な言葉を持ってくるときには、一度必ず、「例えば」という言葉を用いて具体化することが重要です。そして、より因果関係を強固なものにするために、「礼儀」を心がけることで、どういう効果があるのか、、あるいは「礼儀」がなければどういうデメリットがあるのかまで踏み込むべきでしょう。それを考慮して、次のように書いてみるとよいのではないでしょうか。
「初対面の人と交流する場で心がけるべきことは、礼儀である。礼儀と言っても、大袈裟なものでなく、目を見てはっきりとあいさつをするなどという簡単なことで構わない。特に初対面の場合、あいさつだけでその人の印象が90%以上決まってしまうと、幼いころに母が教えてくれた。お互い悪い印象を持たずに、気持ちよく交流するためにも、礼儀をもって接するべきである。」
また、「作文のテーマとして与えられる問題を、本当に自分の問題として考える」ということも重要です。「どのようにすれば中学生がボランティアに参加するか、自分の考えを書きなさい。」というテーマで生徒が以下のように書きました。
「中学生がボランティアに参加するためには、ボランティア参加を呼び掛けるポスターを作成して、学校に貼るとよい。そうすることで、ボランティアに興味を持つことができる。」
どう思いますか?作文を書くのがうまい生徒と下手な生徒の大きな違いは、問題を当事者として考えているのか否かの違いです。「ポスターを貼れば、興味を持つでしょ?」というものは、中学生のボランティア参加という問題を他人事としてしか考えていない典型的な解決策です。もちろん、ポスターが効果ないとはいいません。しかし、それを書いた生徒本人に、ポスターが張られていたら、ボランティアに興味がわいて参加したいと思うかと尋ねたところ、そうは思わないということでした。作文では安易な解決策には走らず、もっと踏み込んだところまで考えを巡らせるべきです。作文では、「もし自分だったら、どういう状況や働きかけがあったら参加したいと思うか」と当事者の問題として考えることが重要です。そうすることでより具体的で、しっかりと中身のある作文にすることができます。
初めは、「どこかで借りて持ってきたような内容の作文」であったものが、夏期講習で作文の指導をすると、すぐに生徒の書く文章には「自分の意見」というものが現れてきました。結局、子どもたちのできない原因は「そもそもやり方を知らない」ということに由来することが多々あります。まだまだ文法、表現力に稚拙さはありますが、これから半年かけて文章の書き方を育んでいく予定です。