タイトル通り、勉強には成績が上がるやり方とそうでないやり方があります。いくら時間をかけて勉強していても、それが成績が上がらないやり方・取り組み方であればはっきり言って無駄です。全く身に付きません。今回は「宿題」の取り組み方について紹介します。
塾から出される宿題は、それをやる意味があるから与えられます。授業でもある程度は説明し、問題も解きます。しかし例えば中2の文字による説明の仕方を教えたところで、その記憶は1日2日で消えてしまうのが関の山です。そんな消えゆく知識を引き留め、より速く、より正確に問題を解くためのトレーニングとして宿題があるのです。宿題は決して指導者の自己満足のために出すのではなく、子ども自身の学力のために出していますので、それを「やらされてる」と思っているうちは、意識しないうちに宿題を適当に済ませてしまっています。宿題を適当にやっているかどうかは、「丸付け」をみればわかってきます。ご家庭でも簡単に見つけることができる適当丸付けを3つ紹介します。学校の宿題、塾の宿題をこのようにやっていたら「危険」だと思ってください。
<適当丸付け① 一つずつ丸付けしない>
(写真はイメージです)
丸付けの基本は一問ずつ丸付けすることです。1問目が合ってるかチェックして、合っていたら〇をつける。2問目が合っているかチェックして、合っていれば丸を付ける。このやり方が基本です。基本というよりも、このやり方しかありません(もちろん両方合って正解のパターンは除きます)。それにもかかわらず大問ごとに丸付けをする子がいます。いちいち丸付けするのが面倒くさいから、大きな丸を一つ書けばいいじゃんと思うのでしょうが、この「面倒くさい」というところに「危険」があります。丸付けを面倒くさいと思っている子は、丸付け以前に答えが本当に合っているのかを細かくチャックする作業が面倒くさいと思っています。ですから微細なミスは見逃しますし、自分で正否が判断できないものがあったとしても、「別にあってるでしょ」と勝手に決めつけて丸にしてしまいます。ここまででもダメさで溢れかえっていますが、さらに恐ろしい事実があるのをご存知でしょうか。そもそもでかでかと大きな丸を書けるのは、絶対に合っている自信があるからです。ではその自信はどこから来るのでしょうか。例えば解答集を見ながら宿題を解いたとしたらどうでしょう。絶対に合っている自信がありますよね。こうなればもう学力の末期症状です。「成績向上は見込めません。諦めましょう。あとは楽しく毎日を過ごしてください。」ということしか言えません(この末期症状は過去の教え子の話です。ただしこんなやり方をするのは1人や2人ではありません)。
<適当丸付け② 正解に〇を付けない>
(写真はイメージです)
これも多いのですが、間違いの個所だけ×を書いて訂正し、正解には丸をつけない子がいます。これも上の①と同じく「面倒くさい」という心理の現れです。丸を付けるという一瞬で終わる作業をなぜけちるのかという疑問でしかありません。正解には〇、間違いには×をつけるのは採点の基本中の基本であり、正解に〇がついていないということは採点していないということになります。学校の先生が正解に〇をつけずにテストを返却することなどありません。問題を解いたら〇か×(まれに△の場合もありますが)を必ずつけること、これを当たり前だと思いましょう。私も以前このような丸付けをする生徒がいたので、その理由を聞いてみたのですが、その子が言うには「赤ペンのインクがもったいない」でした。勉強を頑張っている子どもを応援しない親など、この世にはいません。その勉強に必要な赤ペンを買うことをけちる親などいません。赤ペンをけちるくらいなら塾にも通わせてもらっていないでしょう。塾に通わせてらっているということは、子どもに「勉強を頑張って、成績を上げる」ことを期待しているということです。だから子どもたちはいっぱい勉強して、いっぱい問題を解いて、いっぱい赤ペンを消費しなさい。
<適当丸付け③ 意味も分からず答えを書く>
(写真はイメージです)
問題を解いているとどうしてもわからない問題があります。特に問題集の「応用問題」「実戦問題」「発展問題」「STEP3」などの問題は、学習してまもない子どもには難しいかもしれません。そこでよくあるのが、問題を解くときに分からないから空欄にして、丸付けのときに赤ペンで答えを写して終わりというパターンです。難しい問題ですので分からないという部分はとりあえず今は無視します(分からないなら丸付けをする前に辞書を引くなり、教科書を見るなりするべきです)。赤で答えを書くのもいいでしょう。でもそこで終わりではいけません。「なぜそうなるのか」「どこが間違っていたのか」を分析しなければ、同じ問題が出たとしても答えることはできないでしょう。なぜならば「正しい答えを写す」ということは、文字を書ける人であればだれでもできる「単なる作業」にしか過ぎないからです。小学1年生でも、解答集と同じように書きなさいと言われればできますが、きっと小学生はその意味を理解せずに書くことになるでしょう。小学生にさっき書いたものと同じことを書くように言ったとしても、それは子どもにとっては意味のない文字の羅列にしか過ぎないので、同じようには書けません。もし中学生にもなって答えだけ書いて満足するのであれば、やっていることはこの小学生と変わりません。間違えたら「なぜ」「どうして」を分析して、できないところはできるようにする、これが中学生の勉強です。
勉強というのは、理由もなくできなくなることはありません。勉強のやり方、向き合い方、考え方などありとあらゆる要素が影響しあって現在の成績になっています。そしてダメな勉強のやり方というのは、昨日今日身についたのではなく、小学校(もしくはそれ以前)からそういうやり方を続けてきた結果ですので容易く変えることはできません。「勉強のやり方」をこんこんと話し続けるのは非常に骨の折れる、忍耐のいることなのですが、それを変えなければいつまでたっても成績の大きな向上は見込めませんので、青凜館では「勉強のやり方」を指導していきます。