長期連休になると、毎回のように甥っ子たちがやってきます。彼らは大人に比べると圧倒的に視野が狭いので、自分の行動がどんな危険をもたらすかや他人の手を煩わせるかを知りません。ですから教育というものを施して、いちいち「これをやったらどうなるか」「やったらダメだよ」と言い続けるのです。そうしなければ大きくなって、一人で行動、通学しなければならなくなったときに、取り返しのつかないことになるかもしれません。教育とは子どもを育てるだけでなく、子どもを守るためにも重要なのだろうな、と甥っ子たちを見て思っております。
話は変わりますが、中学生の指導のメインは、「自分で考える」ということです。考えるといっても何も材料がなければ考えようがありません。料理をするのに、食材がなければお手上げなように、勉強でもまずは知識の習得から取り掛かります。知識の習得はたいして面白いものではありません。イオンの単元ではイオン式を覚えないと話にならないように、英語で基本助動詞の綴りと意味を覚えないと先に進めないように、勉強の始めは「つまらないこと・面倒くさいこと」から行うということは避けようがありません。そういう作業を避けていると、成績が上がらない、受験校がないという状態になってしまうのです。ですから初めは多少無理やりにでも基本知識を叩き込んであげることが、結局は子どもの学力のベースとなるのです。
食材があったら料理できるかというとそうではありません。次に料理する場所、いわゆるキッチンが必要です。キッチンには流しがあって、コンロがあって、オーブンがあって、冷蔵庫があります。そういう環境が整っていないと、無調理の生ものしか提供できないでしょう。これを勉強では、「学習環境」と言い換えることができます。勉強するための机があり、椅子があり、教材があり、辞書があり、なおかつ勉強の邪魔をするものがないということが欠かせません。家で勉強していると弟が邪魔をしてきたり、塾で他の子が騒がしかったり、そういうことも学習の環境としては良いものではありません。
食材と設備があればある程度の料理が作れます。しかし、そこからさらに美味しいものをつくろうと思えば、技術が欠かせません。ふわとろオムレツをつくるためにはその技術を習得しなければなりません。魚を無駄なく調理するためには、きれいにおろす技術が必要です。勉強において技術をどう高められるかは、ひとえに指導者の力量にあるといえるでしょう。同じ単元を同じ時間指導したとしても、指導者によって子どもの定着度合いや他の問題に応用できる可能性が変わってきます。そして優れた指導者というのは、子どもたちに「気づき」を与えることができます。「気づき」というのは非常に抽象的な表現ですが、例えば問題の中の数値を精確に認識する、重要な語句をチェックできる、自作の解答に違和感を感じられる、図表の中の注目すべきところに目が向くなどといったところです。その「気づき」を生むために、指導者は同じことを何度も言い続けることがあります。昨日も英語の疑問文を取り扱ったのですが、私がずっと言っていたのは「聞きたいことは何?(=疑問詞を先頭に置く)」、「be動詞と一般動詞のどっち?」の二点が9割を占めていたでしょう。ある種、子どもが事故にあわないように、「横断歩道では左右を確認して、手を上げて渡りなさい」と親や先生がしつこく言うのと似ています。
「ハザードマップ」という言葉が教科書に登場してから、毎年必ずどこかしらの入試問題で出題されます。「ハザードマップ」とは、災害を予測して、想定される被害、範囲などを示した地図で、今では自治体だけでなく、学校でも子どもたちが作成するようです。「ハザードマップ」があることで、「ここは危険だ」とか「ここに避難しよう」などと判断できます。「ハザードマップ」を持っていない、または活用できなければ、避難が遅れたり、危険な方へと進んでしまうことがあるでしょう。学習塾とは子どもたちに試験における「ハザードマップ」を提供する場かもしれません。「この考え方は危険」「このやり方はダメ」「この読み方が大事」「まず始めはこれをしなさい」「ここに違和感を感じなさい」など、点数を取るための指標を明示します。頭の中に「ハザードマップ」という、方向性や気づきを与えてくれるものがなければ、入試という難易度の高く、時間制約の大きいものを乗り越えることはできないでしょう。