2025年2月9日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

成長を感じる春

春期講習も本日で折り返しで、各学年とも2回ずつの授業を行いました。たった2回の授業(3教科×2回の計6時間)の授業ではありますが、私の目から見ると初めの彼らに比べ成長の様子が見てとれます。二つの成長について紹介します。

 

まず、一つひとつの作業を丁寧にこなすようになりました。具体的には、テストでは読みやすい字を書く、机の上を整理する、言われたことをその都度メモするということを実行する(正確には「実行しようとする」)ようになっています。春期講習に参加している生徒には常に「丁寧にしなさい」「雑はいけません」と言っていますので、子どもたちも「雑にやっているとまた文句言われる」と思い、そうならないように回避しようとしているのでしょう。今はまだ「グチグチ言われるからやる」という状態ですが、丁寧にすることを意識していれば、意識は無意識になるものです。運転免許取得のために教習所に行くと、最初は手取り足取り指導され、あらゆることを意識しなければなりませんが、慣れていけばそのうち自然と周囲に注意が向くようになります。同様に自然と行動できるようになる、つまり無意識状態を作り出すためには、意識することを徹底しなければなりません。そんな生活態度のようなことを塾の指導者が言う必要あるのかと思うことがありますが、「雑さ」は学力に大いに関係し、あとからでは取り返しがつかないので生徒がどう思おうと言っていかなければならないのです。雑さに関しては、同様のブログがありますので、良ければこちらもお読みください。⇒【That’s 「雑」

 

見直しをしようとするようになったのも成長と言えるでしょう。見直しというものは小学校・中学校でもさんざん言われているはずです。「見直しって何ですか?」など、見直しを言う言葉を知らないという子どもはいません。しかし、見直しを正確に行える子はほとんどいません。事実、青凜館の講習生の中に見直しをきちんと実行できる子は一人もいません。彼らが行っているのは「見直し」ではなく、「じっと見る」です。自分が書いたものをじっ単に眺めているだけです。眺めるという行為に思考は全く必要なく、だからこそ余計な労力を払うことないので子どもたちが勉強している気持ちを味わう上では最高の行為です。紙に書いたものを見ているだけで勉強している気になっているだけです。美術館に行くと、それぞれの絵の見方によって、興味の有無が手に取るように分かります。絵に興味がある人は、絵を見た後に作者や時代、解説を読みます。そして作品の背景を分かったうえでもう一度絵を鑑賞することで、その作品を深く味わおうとします。反対に、絵に興味がない人は、文字情報は追わずに絵だけを見て作品について知った気になるのです。テストでじっと眺める子というのは、絵に興味がない人の鑑賞法と全く同じで、内容に深く踏み込まず表面部分だけに触れて満足しているといえるでしょう。見直しに必要なのは第三者の目、いわゆる「客観的な見方」です。「自分が解いたものだから大丈夫」「きっと間違っていないだろう」という疑いのかけらもないような見方では誤りを判断することができません。私は以前、自動車部品を作るという仕事をしたことがあるのですが、作った製品の最終チェックは、その製作に全く触れていない人が行うことになっていました。そして最終チェック者はチェックミスがあれば自分の責任となるため、製品の欠陥を発見しようという意識でチェックするのです。「この人はベテランだからミスはないだろう」「この部分の不良は今までなかったから、これも大丈夫だろう」という向き合い方では、いざ欠陥があったときに見逃してしまいます。ですので予め「欠陥がある」ということを前提として臨まなければならないということです。テストと部品の検品の大きな違いは、チェックする人が第三者かそうでないかです。第三者の関与がないテストにおいて自分の回答を客観的に見ることは容易ではありません。ですから常に客観的に自分を見る意識を持たなければならないのです。再テストになった生徒が答案を持ってくるときに、私は「絶対に大丈夫?」「絶対に間違いがないといえる?」としつこく聞きます。大抵の子は「たぶん大丈夫です」としか答えられません。さらに私が「100%合っている自信はないの?」と問うと、「もう一度見直してみます」と言って自分の席に戻ります。青凜館の小テストはリストと全く同じ問題を全く同じ順番で出題するので、対策をすれば誰でも満点をとれるようになっています。そんなテストにもかかわらず「たぶん」としか言えないようでは勉強に真剣に向き合っているとは言えません。そんな私の気持ちを読んでか、生徒たちは提出前に自分なりに検算をしたり、空いているスペースに何度も確認書きしたりするようになっています。少しずつですが、子どもたちなりのスピードで成長しているようです。

 

受験というものを考えたとき、今の生徒の実力では全く戦えません。全学年までの基本事項が全く身についていない子もいます。受験とはいかに知識を多く積み上げられるかの勝負にもかかわらず、知識の負債を多数抱えた状態では、それを返済していくだけて手いっぱいで、積み上げは一向にできません。ではどうすれば貯蓄できるのか。一番は勉強時間を増やすしかありません。塾に行っていてその時間だけ勉強する、あるいは出された宿題だけをやっているのでは取り戻すことはできません。自分で時間を作って足りないところを補う努力をしなければならないのです(というように子どもたちにはさんざん言っていますが、子どもの心には響いていないようで、プラスαの勉強をしている様子はありません。勉強するのがあたかも指導者のためであるかのように考えているのでしょう)。なんかこういうことばかり言っていると、青凜館は生徒に高い要求ばかりすると思われるかもしれませんがそんなことは全くなく、授業で話している内容は「基本中の基本」ばかりです。絶対に取りこぼしてはいけない基本ができていないから厳しい話をするのです。厳しいことを言われたくないのならば二つの方法があります。一つはその場所から逃げ出すこと、つまり別の塾を選ぶこと。もう一つは自分を高めて、できないをできるに変えることです。最後は苦言になりましたが、それだけ子どもたちの成長に期待しているということです。残りの講習もがっつり指導していくつもりですのでその覚悟で臨んでください。

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