2024年2月27日
  • 須恵町にある高校受験専門学習塾

That’s 「雑」

長らく子どもの指導に関わっていると、テストなどの成績を見ずとも、その子の成績の良し悪しや成績の上がりやすさが分かるようになります。タイトルにもあるように「雑」にこなす子は成績が上がりにくく、「丁寧」にこなせる子は成績の伸びが期待できます。それは勉強だけにとどまらず、礼儀や話し方にも顕著に表れるものです。ですので指導者としたら「雑」な子を見かけたら、その「雑」を指摘し、「丁寧」な勉強や態度へと変化するように仕向ける必要があります。子どもの雑さを放置したまま先に進んだところで、あるレベル以上は進めなくなるのは目に見えているのです。入試というものは、雑に読む子、雑に計算する子、雑に記述する子が点数を取れるようにはできていません。どれだけ文言を正しく拾い、正確に計算し、過不足なく解答を作成できるかが重要なのです。

 

では具体的に、どんな子が「雑」と言えるでしょうか。塾や学校においてこんな子は要注意です。

・使ったものを使い終わってすぐに元の位置に戻さず、そこら辺に置きっぱなしにする

・使ったものを戻しはするけれど、元の位置からはずれている

・大事なことをメモせず、結果的に忘れている

・使った椅子を机の下に入れずに、はみ出してしまっている

・消しゴムのかすがノートやテキストに挟まっている

・ノートや教科書が破れている

・帰宅する際に、消しゴムのかすが机上に残っている

・ペンのインクがなくなったけど、新しいものに変えていないので、他の色で代用し続ける

・雨が降っているのに、傘を持ってこない(多少ぐらいなら濡れても気にしない)

・テキストや解答冊子に名前を書かない

・ちぎれた消しゴムを使っている

・配布されたプリントをすぐにファイリングしない

・保護者あてのプリントをその日のうちに渡さない

・答え合わせで、誤答なのに丸がついている

・間違った答えを赤で書かず、一旦消して鉛筆で書きなおす

・前を向いてと言われたのに問題を解き続ける

・他人から借りたものを、汚して返す

・・・など、挙げればキリがありませんが、これらの「雑さ」を複数抱えている子は成績がなかなか上がっていかないものです。では、どのように子どもの「雑さ」と成績が関わるのかを考えてみましょう。

 

丁寧な子の強みは、指導者のやり方を「正確に真似する」ことができる点にあります。指導者が示したものを、その通り吸収し、実行することができます。話を聞くときには聞くことに集中し、問題を解くときには集中して問題を解き、板書を写すときにはそれだけに集中することで、学習内容を最も効果的・効率的に体得することができます。プロの指導者の解法には隙が無いので、その解法を丁寧にたどった子の解答に隙が生まれないのは当然です。それに対して、雑な子はやり方を正確に真似しようとしません。自分で不要だと判断したり、余計なものを付け足すために、採点者の格好の餌食となるのです。また話を聞くべき時に板書をしたり、板書するべき時に問題を解いたりするために、指導の効率は大きく下がってしまうのです。

 

また丁寧な子には正しい気づきが生まれます。正しく学び、正しく問題を読み進めるために、注目するポイントや引っかかるべき部分に気づくことができます。気づくことのできた子は、指導者から与えられた解法の中から、設問条件や解答方法を鑑みて、最適なものを選択し解答することができます。一方、雑な子はそもそも問題を読むことが億劫なため、まともに読むことをしませんし、読んだところで気づくべきポイントをスルーしてしまいます。問題の中で何らかの違和感を感じることがあっても、それの重要性を正しく認識することができないため、中身のない解答へと仕上がってしまうのです。

 

特に男子生徒に多いのですが、アルファベットの「a」と「u」の見分けがつかない子がいます。見方によっては「a」にもとれるし、これが「u」だと言われれば「u」に見えなくもないといった様子です。このことは軽微なことのように思えますが、いくつかの大きな問題点があるのです。一つは、これまでにこのことに誰も気づかなかった、注意してこなかった、あるいは注意はするけど徹底させてこなかったという点です。気づいていたのに注意しなかったのなら指導者失格です。そもそも指導者が気づいていなかったということであれば、そんな指導者に学んでいることを深く悲しむべきでしょう。いずれにせよ、指導者が子どもの学力に与える影響は大きいということです。そして問題点の二つ目は、子ども自身がこのことに違和感を感じていない点、つまり「別にいいんじゃない?」という態度を持っている点です。子どもの軽薄さとは裏腹に、この問題は想像以上に根深いものだといえます。子どもは、子ども自身の「基準」というものを持っていて、その基準に照らし合わせ、合格したからこそ曖昧なアルファベットを残しているのです。そこには何かの意地の悪さや悪意があるわけではあるません。ただ単にその子の「基準」が低いだけなのです。これを教科書の基準あるいは入試で通用する基準まで引き上げなければならないのですが、子どもの基準というものは一朝一夕で構築されたものではないため、すぐに治ることはなく、かなりの長期戦を覚悟しなければなりません。子どもの「雑」を見過ごせば非常に楽で、何も煩うことはないのですが、先にも申し上げたように、「雑」を見過ごしたところでその子の上限など目に見えているのです。であれば面倒くささを甘受してでも、改善しなければならないのです。

 

これから先、簡単な仕事、単純な仕事が機械に奪われていくことは避けることができません。人間に残されるのは、難しい仕事、複雑な仕事、オリジナリティーが要求される仕事です。仕事において、「雑な仕事しかできない人間」と「正確無比な機械」であれば、「機械」の方を重宝することには何の違和感もありません。子どもたちの雑さを軽視してはいけません。子ども時代に身につけた雑さを、大人になって改めることは容易なことではないからです。幸いなことに中学生が社会に出るまでには十分すぎるほどの猶予があります。その間に、自らの雑さに気づき、改善することは十分可能です。また、こんな時代だからこそ「丁寧」に仕事のできる人間は必要とされるのです。

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