先日のブログで「テンプレート会話」の話をしたのですが、入試においても「テンプレート」が多用されています。
例えば、“Which do you like better, summer or winter?”という問いに英語で答えるという問題に対して、
“I like summer. I like to swim in the sea. It is a lot of fun for me to swim in the sea. I want to swim next year.”
のような解答が非常に多いのです。内容が重複しているため多少の減点はありますが、文法的な誤りはなく、点数はもらえるでしょう。どう思いますか?私は、全くもって無味乾燥とした英文だと思います。中学校3年間英語を学んできたとは思えません。そして、このことの最大の問題は、このような無味乾燥とした英文を書くように「塾」が率先して指導しているということです。
入試において、点数を取ることを最優先すべきなのは疑いようがありません。その点からみれば、「テンプレート」を用いるというのは素晴らしい作戦です。英文を全く作れない子には、「テンプレート」を覚えされてでも点数を取らせるべきです。でも、その反面、これが教育の在り方なのかなとも思うのです。子どもの可能性を伸ばすべき教育が、子どもの学力向上を阻害しているのではないでしょうか。
やわらかいものばかりを食べていればそのうちあごの筋肉が衰えるように、格下の相手とばかり試合をしても実力が上がらないように、書けて当然の英文ばかり練習していてはその子の英語力は向上しません。どのような内容の言葉を書こうかなと考え、それを表現するためにどのような文法を用い、スペルミスをせずに、過不足ない英文を完成させることは容易なことではありません。でもそれが勉強です。勉強とはそもそも頭を使うものなのです。入試では、自分の持てる限られた道具を使いこなす力を問うているのです。
ところで、これまでに「手話」を学んだことがあるでしょうか。小学校などで、歌に合わせて手話をやったことがあるかもしれませんね。私も少しですが手話を学んだことがありますが、やっていくうちに「手話」と「英語」は似ているのではないかと思うようになりました。日本語を英語に直接変換できないときに、ワンクッション挟むことがあります。例えば、「今日私はそこに行けない」と言いたいときに、一旦「今日私がそこに行くのは難しい」と変換したうえで、“It’s hard for me to go there.”と書くことができます。一方手話も、「今日、私、そこ、行く、難しい」と変換して手話で表す必要があります。手話は言葉と違って絶対的な単語数が少ないので、よりこの変換という作業が重要になります。手話でも英語でもうまく変換するためには、「この文でいったい何を言いたいのだろう」と考えなければなりません。この「いったい何が言いたいのだろう」と考えることが勉強の辛いところであり、それゆえ差が分かれるところでもあります。国語で哲学論のような抽象的な文章を読むときに、「よく分からない」とさじを投げてしまうのか、「段落ごとに何を言いたいのかを端的に抜き取っていく」のかでは見える世界も、結果も全く違います。それは資料の多い社会や、実験・観察から考察する理科でも同様です。
話を元に戻しますが、英語は得意科目にすべきです。他の科目は小学生からの積み上げが必要ですが、英語はたった3年間の学習範囲からの出題です。それも中1の初めのころは、アルファベットやThis is a pen.などの超簡単なものしかやっていないはずです。実質、2年半ぐらいの内容ではないですか。そう考えると、なんて楽な科目なんだと思えます。きちんと勉強すれば、高校受験の英語なんて楽に突破できます。やることやれば、「テンプレート」などに頼らず、きちんと自分を表現できるようになるのです。